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   2007年4月1日号
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《論陣》
東京五輪は平和のパスポート
= 狭すぎる日本人のスポーツ観 =
 まず第1に述べなければならないことは、この世界で地球人(60億人超)が一つの目的で結集できるのは4年に1度のオリンピックしかないことだ。
 国連があるじゃないか―の声も聞こえてくるが、国連は192カ国ほど加盟して、これがどれだけ一致団結しているだろうか。中東問題にしろ、アジア問題にしろ、問題提起こそされても、解決に至るのはその中のごく一部。
 国連組織は日本人が見ている理想よりはるかにバラバラで、「政治」そのもの「国益」そのものの場であるがゆえ、満場一致の団結という姿は4年に1度も珍しい。
 それに比べるとオリンピックは、「政治を越えて政治的」な力を発揮することもある地球唯一の民族総結集の場である。
 ギリシャのアテネを発祥地とする第1回大会(1896年)から100年以上の歴史の中で、日本に関する部分では昭和15年の東京オリンピックは戦争中で幻のオリンピックとなり、日本がアジア初のオリンピックとして実現したのは、それから半世紀ちかい歳月を要して昭和39年(1964年)に開催。戦後復興のシンボルとして世界は日本・東京を高く評価した。
 しかし、その後、当時のドイツの第20回、ミュンヘン・オリンピック(1972年)の選手村ゲリラ乱射事件、さらにオリンピックの大黒柱を揺るがすような第22回、モスクワ・オリンピック(1980年)の西側ボイコット(注・ソ連軍のアフガン侵攻に抗議)、続けて第23回のロサンゼルス・オリンピック(1984年)の東側ボイコット…。オリンピックの聖火は100年、この地球上から消えていくのではないか、という不安な時代もあった。
 このような乱射事件、ボイコット問題の渦中では政治、とりわけ米ソの東西冷戦下での政治がスポーツにおおいかぶさり、中国五輪参加による台湾追い落としの不参加(モントリオール)等、さまざまな山谷を越えてのオリンピックの歴史である。
 また、戦後の朝鮮半島をみてもわかる通り、今も南北は戦後の冷戦体制を引きずり、南北和解とか南北統一は夢物語を演じている。
 しかし、ことスポーツとなると、近年の朝鮮半島はオリンピックでは政治を除外して「統一旗」で入場し、オリンピックのわずかな期間といえども、政治を越えた南北民族による友情が芽ばえるのも、オリンピックだからこそあり得る光景なのだ。そして、世界は戦後だけでも戦争と呼ばれる争いは200回とも300回以上とも言われるほど。地球のどこかで毎日、必ずといってよいほど血を流し、戦死者を出している。
 ところが、日本に限ってみると、戦後、60年余、安保デモ、公害病死、一般殺人事件があっても、国家をあげて戦うこともなく、おしなべて平和を維持してきた国家だ。そうした平和に慣れて生活してきた日本人からは「オリンピックなんてカネばかりかかる」とか「急にいろんな外国人がきたら、東京の交通渋滞や犯罪がふえる」等の意見もあがってくる。
 だが、こうした日本人の声は余りにも偏狭的でオリンピックに対する考えが古い。オリンッピックをたかがスポーツの世界大会と思うのだろうが、オリンピックほど政治を踏み越えて世界が一致できる催物はこの地球にない。だから平和な日本こそが53年ぶりの東京オリンピック開催(2016年)の立候補に意義があると言えよう。国民や都民が心配する開催資金は既設の会場が多いので少なくて済む。
 東京が立候補しても、その前にアメリカ等が立ちはだかっているため、決して日本有利とはいえない。また北京(2008年)開催から1回飛ばして再びアジアの東京というのも当確まではイバラの道だろう。
 そうした中でも経済大国ニッポン、平和大国ニッポンを世界に誇示して日本人のアイデンティティをみせる大きなチャンス。日本のすばらしさを昭和39年以来の次世代の世界の人々に見てもらいたい。オリンピックは世界平和のパスポートだ。日本の将来を背負う若者にも日本人であることの誇り、愛国心、平和であることの大切さ等、大きな夢を与えるものと思う。

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