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   2006年11月15日号
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任務運航400回達成
空自イラク派遣部隊、活動続ける
 航空自衛隊イラク復興支援派遣輸送航空隊(隊長・田中久一朗1佐以下約210名)は10月30日、任務運航通算400回を達成した(=写真)。
 平成15年12月、C―130輸送機3機、人員約200名の空輸隊を派遣して以来、クウェートのアリアルサレム飛行場とイラクのタリル飛行場間で、陸自派遣部隊の補給物資のほか、医療器材など、わが国からの人道復興関連物資、関係国・関係機関が行っている人道復興関連物資・人員を空輸してきた。
 また、今年7月に陸自派遣部隊がイラクのサマーワ宿営地を撤収後も、空自派遣部隊は引き続き、国連や多国籍軍などのニーズに応えるため、クウェートからイラクのバグダッドやエルビルまでの間で空輸を継続している。
 翌31日には、防衛庁で久間章生長官が現地の田中隊長とテレビ電話を通じて会談し、これまでの労をねぎらうとともに激励した。

UNDOF派遣隊員帰国
 海自大湊航空隊(司令・粟野諭1佐)から第21次ゴラン高原派遣輸送隊に派遣されていた隊員が、任務を無事完遂し帰国した。上野3陸佐以下、陸自隊員を中心に43名の隊員で編成された今回の派遣輸送隊には、海自から4名が参加。このうち大空からは、佐々木精一1曹と下坂航2曹の2名が参加していた。
2人は、陸自旭川駐屯地での隊旗返還式のあと、大空での帰国歓迎行事に臨み、同僚隊員の前に元気な姿を見せた。派遣中は不穏な情勢下での苛酷な勤務の連続であったが、それを微塵も見せず、満足感に溢れた笑顔が印象的だった。2月の壮行会以来、久しぶりの再会となった。
 シリアのファーアール宿営地での2人の勤務ぶりを紹介すると、佐々木1曹は調理員として活躍。食材確保が容易でないにもかかわらず、創意工夫を凝らし、延べ4万食に及ぶ給食を1人で担当。数多くのパーティやレセプションの調理にも対応した。見事な料理の腕前に、陸空自隊員はもとより、他国の隊員や多くの訪問者から敬意と賞賛が寄せられ、親しみを込めて、ゴラン高原の「スリースター・シェフ」と呼ばれた。
 下坂2曹は燃料補給業務を担当。これまでの経験を活かし、天文学的な数量の燃料やプロパンガスを管理。多国籍の隊員などを相手に行うだけに、的確・適切な管理が求められたが、堅実な運営に内外から賞賛が相次いだ。老朽化が激しく不具合が頻発するガソリンスタンドを改良したり、アラビア語を習得して現地スタッフとの調整役も果たした。
 同僚隊員を前に2人は、厳しい勤務であったが大空隊員からの激励の手紙に支えられた、と感謝の言葉を述べた。また、この活動への参加を通じて、関係国隊員との交流を深め、視野を広め、一回り大きく成長できた。今後は、困難な任務を完遂した誇りと自信を持って勤務に当たりたい、と話していた。

《論陣》
 「防衛省」への実質審議が9日から始まった。12月15日が、いまの国会の会期末。この日までに「省移行」を柱とする防衛庁等設置法改正案が国会で審議の上、成立をはかるのである。「省」が実現すれば、これまでのように「庁」が内閣府の外局から外れ、「省」単独の立場から、法律案の提出ができるようになる。こうしたことが国を守る上で、実に大切なのである。例えば現行では訓令しか出せなかったものが省令の制定もできる。さらに自衛隊法第3条では従来附随的任務だったものが本来任務になり「防衛」の質も向上するはずだ。
 「防衛庁(エージェンシー)」が「防衛省(デパートメント)」になったからといって組織、予算、規模が大きく変わることはない。「省」に独立するだけである。外国の国防省や防衛省と同格の呼び名になる。
 国防の基本方針は「直接および間接の侵略を未然に防止し、万一、侵略が行われたときにはこれを排除し、もって民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守ることにある」、昭和32年5月20日に国防会議および閣議決定で決まった“方針"は、あくまで不変である。もちろん、「省」になったからといって「制服」がトップに立つことはない。大臣は文民であるからシビリアンコントロールが崩れることはない。
 「省への移行」は、防衛庁職員、自衛隊員の永年の希望だった。外国から「目的、組織、規模、予算から見ても、省なのに、なぜ庁なのか?」との質問に、庁関係者は「いろいろ政治的問題もあって―」と、分かったような分からない返事をくり返してきた。外国から見ても「省並みの庁」は、おかしな存在だった。
 「庁」が「省」になって一番変わるのは「隊員の士気」が高まることで間違いない。制服組は「国防担当者」の一員としての誇りが強まる。「呼び名が変わっただけで、そんなに違わないのではないか」という人がいるが、そこが一般の人と自衛官との違いである。いまより“士気"が一段と高まることに間違いない。
 「省」への昇格への願いは、具体的には昭和35年の江崎真澄長官の頃から盛り上がった。しかし、この頃は、いわゆる日米安保反対の気運が強く“法案"作りは、かけ声だけに終った。41年から42年にかけ増田甲子七長官の頃は当時の日本社会党が飛ぶ鳥の勢い。航空自衛隊のFX(次期戦闘機)をF104からF4EJに変更しようとしても「飛行距離が長過ぎる上、爆撃装置を付けている。海外派兵、外国を侵略する可能性がある」と追及され、「空中給油はしないとか爆撃装置を外す」などを約束させられる始末だった。
 そのご、「省移行」のチャンスは何度かあったが、そのたびに「防衛」以外の政治問題が起きたり、政変が重なったりで、今日まで「省」が実現しなかった。
 一方、世論調査面から見ると国民の80%以上の人が「自衛隊に良い印象をもっている」と答え、その理由として規則正しいが1位だったが、最近では「社会的、国際的に重要な仕事をしている」といった、自衛隊自身の社会活動、国際貢献のめざましい活躍が国民の目に強く映ってきているのが目立ってきているようだ。
 また、最近では「北朝鮮の核実験の強行」が、“日本の安全保障"についての国民の考えを強めたようだ。とにかく、かつての自衛隊廃止論などは姿を消し、自衛隊は独自の力を維持するとともに、日米安保体制を堅持して“核"などの脅威に対抗して行こうとの意見が高まってきている。「省」になったからといって「国是」が変わるはずはない。これからも日本と米国は政治、外交、防衛上の調整を密にし、世界の平和のために努力すべきであろう。
 とは言え現段階(11月10日)でも省移行は微妙な状況である。中央、地方、内、外を問わず全関係者はこれに向けての努力を続けていきたい。

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