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   2006年9月15日号
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彰古館 往来
<シリーズ55>
陸自三宿駐屯地・衛生学校
日露戦争の記録 11
赤十字条約下の病院接収
 奉天戦後の露軍赤十字病院の接収は、国際法上初めてのことでした。
 明治38年(1905)3月10日の夕刻、第二軍司令部の森林太郎(文学者の森鴎外)軍医監は、第五師団軍医部長の芳賀榮次郎一等軍医正(臨床用X線装置1号機を私費で購入し、陸軍軍医学校に寄贈した。後の軍医総監)の報告を受け、初めて露軍の病院が奉天に残置されていることを知ります。
 翌日、森軍医部長は部員の小島信篤一等軍医に命じて各病院の現況を調査させます。報告を受けた森軍医部長は隷下の各師団に対し衛生機関の派遣命令を発します。
 午後2時「第四師団より野戦病院一個を城内露国病院に派遣し、その在院患者を処置しむる」の命令を受けた、第一野戦病院長の山野新太郎三等軍医正は、午後3時、駒井菊太郎一等軍医を城内赤十字社病院に派遣します。
 城内露軍赤十字病院の授受を守備隊と交渉しますが、守備隊の方ではまだ接収命令を受領しておらず、第一野戦病院は城内に入ることが出来ません。
 初めての病院接収がスムーズに行かなかったことが良く分かるエピソードです。
 仕方なく第一野戦病院は午後7時、奉天大北辺門外の露軍兵営付近に野営します。ここでロシア兵患者21名の治療を実施、守備隊に命令が届いたのは、深夜11時のことでした。
 翌12日、第一野戦病院長は、露軍城内赤十字病院長と交渉に入り、福原義柄二等軍医が業務監督をすることになり、第一野戦病院は、城外の露軍兵舎地区に開設します。
 接収したほかの赤十字病院との違いは、日本兵の入院患者が一人もいなかったことと、日本側の支援を断り、診療業務の一切を赤十字病院が継続したことです。
 16日、赤十字社員は日本軍入城の際に、病院の馬20頭、軍医のサーベルなどを持ち去られたと訴えます。23日には被害の証明書を発行して欲しいと要求します。当時の軍律で、略奪行為は厳罰が待っています。軍政署の守備隊に対する調査の結果、事件そのものの信憑性が低いとして、この訴えを却下しています。
 病院の監督以外にも、接収後の問題は山積みで、第二軍軍医部長森林太郎軍医監の憂鬱は続きます。

防災功労者内閣総理大臣賞表彰
1師団、横地隊、救難団が受賞
三宅島噴火、新島・神津島近海地震で災派
 平成18年「防災功労者内閣総理大臣表彰」が9月6日、首相官邸で行われ政府関係機関、自治体などの団体とともに防衛庁関係では陸上自衛隊第1師団、海上自衛隊横須賀地方隊、航空自衛隊航空救難団に小泉首相から表彰状が贈られた。(写真)
 同部隊は三宅島噴火及び新島・神津島近海地震に際し、発災直後より物資の輸送、火山観測支援等、的確な任務を実施し被災者の安全確保に多大に貢献したとして、今回の表彰に至った。
 表彰式には防衛庁から守屋武昌事務次官、陸海空幕副長及び表彰団体の関係者、部隊を代表して三田1師団長、荒川横総監、齊藤救難団司令が参列した。
 今回受賞した自衛隊3部隊の内訳▽平成12年三宅島噴火及び新島・神津島近海地震による災害(陸自第1師団災害派遣部隊・同支援部隊、海自横須賀地方隊災害派遣部隊・同支援部隊、空自航空救難団)

防衛庁で小・中学生見学ツアー実施
 防衛庁は、8月23、24の両日、文部科学省が主体となって行われる「子ども霞が関見学デー」の一環として、平成18年度「ピクルス王子の市ヶ谷台探検ツアー」を実施した。
 天候にも恵まれ、対象の小・中学生と同行者ら合わせて23日103人、24日99人の計202人が大臣室見学、木村太郎副長官や愛知治郎政務官との懇談、食事体験、防衛講座、広報展示室見学、儀仗訓練見学、手旗信号体験などの催しに参加、熱心に防衛庁・自衛隊の活動を学び、理解を深めていた。参加者の一人は「今日、防衛庁を見学して自衛官のことをたくさん勉強した。大臣室や副長官の部屋を見たり、カレーライスを食べたりして、とても楽しかった」と話していた。

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