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   2006年5月1日号
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少工校第52期入学式
新入生260名が春風を吹き込む
 少年工科学校(校長・別所利通陸将補)は4月8日、第52期生徒260名の入校式を実施した。
 新入生は4月1日、全国各地から期待と不安の入りまじるなか武山の地に集い、約1週間で「気を付け」「敬礼」に始まる自衛官として最も基礎的な訓練を終え、この式に臨んだ。
 式には横須賀市長代理の田中教育長、酒井陸上幕僚監部教育訓練部長を始め、部内外から多数の来賓と新入生家族約600名が参列した。
 まず同校吹奏楽部の演奏で国歌斉唱が行われ、引き続き任命・申告・宣誓と進んだ。特に宣誓では、代表者に続き新入生全員が声高らかに宣誓し、一人ひとりが名前を発声。家族にとって頼もしい声が響き渡った。学校長式辞では「生徒としての自信と誇りを持て」「自分に負けるな」「同期の絆を大切にせよ」との要望があり、新入生の心に深く刻みこまれた様子だった。
 また、陸幕教訓部長からは「初心を忘れず、その志を貫いてもらいたい」「将来のためにしっかりと勉学に励むとともに、心と体を鍛えてもらいたい」と要望を含めた激励の言葉が贈られた。最後に新入生も覚えたばかりの少年工科学校歌を声高らかに斉唱し式は終了を迎えた。
 引き続きグラウンドで、生徒会を中心とした2・3年生による歓迎パレード、そして部内外行事で活躍する同校ドリル部によるドリル演奏が披露された。統制され一糸乱れぬパレードと演奏は、新入生とその家族に感動を与えた。更に第1ヘリコプター団、航空学校霞ヶ浦分校、東部方面航空隊の少年工科学校出身パイロットによる祝賀飛行で入校式に花を添えた。
 最後に食堂で午餐会が実施され、家族団らんの和やかな雰囲気のなか全ての行事を終了した。

消化活動で感謝状
<東京地連>
 東京地連城南地区隊港出張所(代々木募集事務所分駐)で広報官として勤務する手塚一馬2陸曹(写真中央)は4月7日、幹候募集業務で残業中のところ、渋谷区代々木1丁目で発生した火災に遭遇、積極的な初期消火活動に努めるとともに、避難誘導及び119番通報等、適切な行動で被害を最小限に止めた。手塚2曹は「都民の生命と財産を守る」真の自衛官としての模範となるこの善行により、同12日、東京消防庁渋谷消防署・高萩悦雄署長から感謝状が贈られた。
 手塚2曹は「自衛官としてはもとより、社会人として当然のことをしただけで、感謝状をいただいたことに大変驚いています」と話していた。

雪月花
 作家の村上元三さんが、4月3日96歳でなくなられた。防衛ホーム昭和48年10月創刊号の1面に随想を書いていただいたことを思い出す。当時村上さんは時代小説の第一人者として引っ張りだこだった。筆者も「佐々木小次郎」や「水戸黄門」「新撰組」など夢中でよんだものだった。作家活動の他でも大活躍、文士劇への出演や、大河ドラマ「赤穂浪士」や「源義経」の脚本も手がけておられた。そんなご多忙のなか、世田谷のお宅に行って、防衛ホーム創刊の趣旨をお話した。企画段階なのでもちろん見本紙があるわけでもないのに、熱心に耳をかたむけてくれた。「自衛隊さんやご家族のために私がお役に立つのなら」と引き受けていただいた。文化人と称する人たちの腰が引けている時代に心強い応援歌だった。手紙で「愛読者です」というだけでアポを取って押しかけた無鉄砲さに若かったとはいえ今さらながら恥じ入る。が、それを許してくれた村上さんの懐の深さを感じたのは最近になってからだ。それからも村上さんは勳三等を受けたり数々の著書を世に送り出す大活躍だった。自衛隊の成長をどのように見ておられたのか、観艦式や中央式典などにご案内出来なかったことを悔やんでいる。告別式が行われた16日、筆者も上野の寛永寺に参列した。人気作家とあって有名人も沢山出席していたが作家の平岩弓枝さんは「時代作家が、その時代のことを調べるのは、その時代に生きた人たちに対する礼儀だと村上先生に教えられた」とお別れの挨拶の中で披露した。

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