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   2005年12月15日号
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今、自衛隊医官は…
隊員の健康管理や国緊隊出動
なんと昨年度は78人が退官
 最近の自衛隊支持率の上昇は、自衛隊医官等の目に見える活躍が要因となっている。先般のパキスタン地震の国際緊急援助隊にも医官が含まれていた。また、ハイテンポの自衛隊の活動には国内外を問わず、隊員の健康管理に責任を持つ医官が随行する。医療が活動の柱になった1998年のホンジュラスや昨年の新潟中越地震への災害派遣、イラクにおける人道復興支援活動やスマトラ沖地震に際した国際緊急援助活動では、医官はまさに活動の主体になっている。さらに、最近、わが国でも具体的な脅威にさらされた生物兵器対処においても、自衛隊医官の高度な知識が必要となっている。このように、自衛隊医官の活躍の場が広がり、国民からの期待が高まる一方で、自衛隊の医官問題がいろいろ表面化している。(本紙・所谷尚武)
 今、一番問題になっているのが慢性の医官不足である。防衛医科大が開校されて32年、卒業生は1,700人をこえているはずだが残っている者は約850人、定年に達したものは未だいないのだから半数は途中でやめていってる訳だ。この原因として誰もがあげるのが臨床例が少ないことや、診療や手術がしたくても出来ないと言うこと等が医官にとって不満ということ、当然のことである。医官は部隊に配属され若くて元気な集団の真只中にいるのだからそうそう病人にも当たらないだろう。ましてや小児科や婦人科の患者を診ることはあるまい。すでにオープン化している中央病院など一部をのぞいて、診療対象が健常な自衛隊員などに限定されているのだから況んや総合臨床医を目指す軍医にそれらの研修・診療は難しいことになる。
 専門医制度も導入されたり日進月歩で進む医学界から取り残されているのではないかとの不安がつきまとうのは真面目な者ほど強いのかもしれない。事実、外科の手術はほかの病院に行くと言うOBも多いし、最新の器材・技術を横目で見ているのが自衛隊医官ではないだろうか。こんな時、欲求を満たしてくれる美味しい話が持ち込まれれば…、退官していくことは当然と言えば当然のことかもしれない。が、昨年度医大では65人が卒業したものの辞めた者が78人(既卒の医官)というのはちょっとひどい。そんなに将来に希望が持てないのか、やり甲斐がないのだろうか。
 今年のはじめ、大野功統前防衛庁長官や政府首脳がこの事態を知り内閣の問題として指示がでた。防衛庁でも2月から頻繁に衛生問題だけの参事官会議を開いており医大開設準備以来35年ぶりの本気の取り組みとなった。本年8月に出された概算要求においては、医官の臨床経験不足に対する不満、不安を解消すべく、一部の自衛隊病院のオープン化(ただ開けるだけでなく、最新医療器材が重点的に導入されるようだ)、医官の活躍に見合った将官ポストの増加、医官にとって臨床と車の両輪となる研究の新たな枠組みが盛り込まれている。医師としての技術を維持、向上させたいという、自衛隊医官の切実なやる気と熱意に応える方向に、(予算を伴うもの、また政令等の改正で実行可能なものもあり、制度改正を含めて)防衛庁も真剣に動き始めた。
この問題を陸海空の自衛隊医官15人に聞いた。現場で診察する者、行政に専従する者、イラクから帰ったばかりの者――皆んな一様に真剣だった。
施設・技術等を比較する
 自衛隊医療施設と臨床面で外部のものと比べるとやはり見劣りする。例えばMRI撮影器材が設置されていないので部外の病院に行ってもらうこともある。それを持ち帰り診察をし直すのは淋しい(陸)。しかし中病や医大病院等は民間病院と変わらない技術、器材、設備がある。最新の医療情報を常に吸収しようとする姿勢は医療従事者として当然だ(空)。研修先の病院でも医官は人気がある、防医大の校風と礼儀、さらに患者さんへの対応も評判がよく臨床や研修の機会もある。残念なのが研修先も先輩がいないため自己開発だ(陸)。教育を受けている途中で病院以外に勤務している人は、他の大学の卒業生と比較して、自衛官としての仕事がある分、研修が思うようにできないと感じる時期があるかもしれない。しかし、自衛隊では専門家を育てるシステムが出来ているので、最終的なところまで教育を受けるとそのように感じることは決してない(陸)。防衛のために防医大に入ったのではなく、医学部に来たのだという意識を持っている者がいることも事実だ(海)。
医官は足りないのか
 医官の充足率は82%で数字上は不足している。前任地の小松基地では隊員1,600人に医官1人で対応する状況が10数年続いている。そこに勤務した2年間は充実と多忙な毎日だったが、時として医官の不足を感じることもあった(空)。方面衛生隊や業務隊医務室などポストを増やしたが配置する者がいない状況だ(陸)。現場の感触では経験を積んだ医官は確実に不足している。医療関係の部隊の中でも実験研究で特色のある潜水医官の数は絶対的に不足している(海)。
 退官するにはそれぞれの事情があるだろうが、自分でもここまで残ったのが正解だったか時に考えることもある。こどもの教育費のことを女房に言われたり、同期の収入を聞いたりすると(空)。若い頃にはあちこちから退官して来てくれと声がかかったが40過ぎるとそれも少なくなった。今でも民間に比べてやりがいはあるが、だんだん先が読めてくると人生設計(注1)の焦りもでてくる(陸)。専門医制度(注2)が出来て指導医の少ない自衛隊では将来のことをやはり考えてしまう(海)。これからは自衛隊でも通常の医療は出来るとの認識を広め、国際貢献や災害医療、特殊環境医学などの分野で自衛隊の活動は広がるし「自衛隊でしか出来ない医療」も追求していきたい。私は飛行機が好きで航空医学も勉強してきたが、戦闘機パイロットの健康管理なんて自衛隊でしか出来ない(空)。感染症や公衆衛生、サリンのような細菌なども研究している専門性の評価は世界的にも高い。その専門性を研究することに経済的にもはねかえるようにしたい(陸)。
将官ポストは少ないか
 現在、衛生職種では一つしかない将のポストを新たに253個増やし、ピラミッドを形成して医官たちの夢を近づけてほしい、及び歯科医官の一佐職は陸で約20人に1人、海空で約10人に1人では少ない(海)。
災害時だけ便利がられているのか
 そうかも分かりませんが、災害医療こそ自衛隊医療の担うべき分野でむしろ喜ぶこと、空自では機動衛生構想もあります。災害時に発生する大勢の負傷者を広域搬送できるのは自衛隊しかありません(空)。自分が任務遂行のために必要とされていることにやりがいを感じています(陸)。
病院のオープン化
 自衛隊病院のオープン化は地元から期待されている、来年度には札幌と福岡がスタートすると聞く。阪神、熊本も近い将来にオープン化して欲しい。しかし今まで1日500人だった患者が一挙に2,000人になったとしたら手の下しようがない。中央病院や横須賀、富士は地元との話し合いがうまくいった例だ。臨床例が増えることはありがたい(陸)。
指導官から
 私は、今年前半イラクに行き、米・英・豪・蘭軍などの医官と交流する機会がありました。彼らも、普段は専門をやりながら時に軍隊の活動ができるなら幸せだと言っています。私個人は医学研究科まで研修させていただき、専門医、指導医の資格を取り、現在医者としての技術を使えるポストにつかせてもらっているという満足感があります。人材育成の範疇において部内外で研修を受ける機会はありますので、医者として成長しつつ医官として様々な活動を行い、満足感を得られたらいいと思います(陸)。
<注=〔注1〕人生設計〜昔、医官を志すものは、戦場に出れば戦闘の次に重要なのは自分たちだとの自負があった。米国では軍医の格は歴然と差別化されており、制服としてのプライドを持ち医師の資格を維持している、外部からも社会的に認識されている。一方自衛隊では俸給面では医官のための調整手当てがあるものの、一般の都市手当て程度で外部の認知も含めて医官の体面が保てられているのか。赴任当時の若いころには引く手あまたの誘いがあったものの、初志貫徹。が、人生の曲がり角に差し掛かったとき悩み込むようだ、40歳を超えると独立開業資金も銀行は貸し渋り、上記のような家庭での会話になる。さらに専門医制度が制定されたのでことさら悩む。
〔注2〕専門医制度〜専門医制度――内科学会とか外科学会等が医師の勉強する研修施設を認定し、その施設では指導医が教育にあたる。そこで教育を受け一定の受験資格を持った者が学会主催の試験を(医師国家試験とは関係ない)受け、合格したものが専門医になる。当然社会的評価と信頼があつまる。自衛隊医官は約850人いるにも拘わらず中病や医大病院以外では指導医は少なく、症例数も少ないため、認定施設の指定維持が困難。よって自衛隊に残れば専門医としての道は遠ざかって行く。医官を外部の教育機関に出すことも想定できるが、そうすれば現場では益々医官の不足が生じてくる。昨年度78人の医官が辞めたのにはこのような背景もあるようだ。>

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