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   2005年11月1日号
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護衛艦「しまかぜ」、インド洋から帰国
無事任務果たす
 台風14号の影響で一日遅れとなったが、舞鶴地方隊(総監・泉徹海将)では9月9日、テロ対策特別措置法に基づきインド洋で協力支援に参加していた護衛艦「しまかぜ」が約5か月ぶりに舞鶴に帰港し、自衛艦隊司令官、部外来賓をはじめ、隊員、家族ら約400名が迎えるなか、帰国行事を実施した。
 護衛艦「しまかぜ」は、去る3月30日に舞鶴を出港し、米軍等の艦船に対する燃料補給等の協力支援活動等を実施する補給艦「とわだ」の護衛任務に従事した。
 午前11時頃に北吸係留桟橋に「しまかぜ」が接岸後、63護衛隊司令(田中常夫1佐)をはじめ乗組員が舷梯を降り始めた時、出迎えた家族から一斉にねぎらいの拍手が沸き起こった。その後、派遣部隊指揮官の63護衛隊司令は、「重陽の節句、日柄も好く、本日、風光明媚な舞鶴の地に任務を完遂し、一人の事故もなく無事帰国できました」と挨拶した。続いて、自衛艦隊司令官(中島榮一海将)が自ら果たした役割と成果に大いなる自信と誇りを持ち、今後の勤務の主とするとともに、精強な部隊の練成に向け、邁進していくことを強く希望する」と労をねぎらった。
 行事の後、岸壁では護衛艦「しまかぜ」乗組員と家族が久しぶりに再会をした。その中には、出港中に生まれた我が子と初めて対面する隊員もおり喜び合う光景が広がっていた。

「しらせ」見学者190万人達成
沖縄基地隊が支援
 9月24日、南国沖縄の澄みきった青空とコバルトブルーの海に一段と映えるオレンジ色の船体を現し、タグボートから歓迎のカラー放水と地元中学校吹奏楽部による歓迎演奏の中、「しらせ」(艦長・大平愼一1佐)が中城湾港に初めて入港した。今回の入港誘致は沖縄市側からの熱い要望により実現したもので、沖縄基地隊(司令・明比章1佐)は、24日から27日まで寄港支援を行った。
 寄港期間中は天候にも恵まれ、3日間の艦内公開には、朝早くから「しらせ」を一目見ようと延べ1万570人の沖縄市、同県の子供たちをはじめ多くの市民が訪れた。25日には、就役以来の見学者190万人を達成、190万人目の幸運な見学者は、県内のうるま市在住新川鈴佳さん(小学5年生)で、乗員から「おめでとうございます。あなたは、「しらせ」乗艦190万人目です」と言われ、びっくりしながらも突然の幸運に大喜びだった。飛行甲板では、記念セレモニーが行われ、艦長から190万人目の認定書、記念品などが贈呈され(写真)艦内見学中の一般市民からも祝福の拍手を受けた。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
シャープ(株)天理総合開発センター  吉村 隆夫
吉村氏は昨年、陸自4施団本部を2佐で定年退職。55歳
 私は平成16年7月に第4施設団(大久保)を最後に定年退官致しました。再就職につきましては、個人的な縁故情報を発端に奈良地連援護課の組織的な援護活動によりデジタル家電最先端のシャープ(株)天理総合開発センターラポール天理寮管理長として勤務させて頂くことになりました。
 特に採用の時期については、私の定年が7月という中途の時期であり、当時の団長のご高配を賜り、付配置期間をフルに活用させてもらって4月から研修という形で勤務させて頂けたことが、今日の円滑な再就職に繋がっているものと感謝しています。
 現在、私が勤務しているラポール天理寮は、寮生500名を収容できる10階建の男女混合のマンモス寮で、男子の管理長2名と女子の寮母1名の計3名で管理室に勤務し、我々男子は12時間勤務の2交代制で5日連続勤務2日休みの完全週休2日制です。
 業務内容は寮生が不在間の郵便物等の授受、入退寮者の受付業務、寮内施設・備品の維持管理などです。警備・火災予防に関しては電子システム化されているし、清掃についても専門業者に委託されており、肉体的には全く無理のない業務です。
 今一番の苦労といえば寮生とのコミュニケーションの取り方ぐらいです。それは私の今までの勤務とあまりにもかけ離れた仕事をしている若者達が、私の寮生だからです。液晶も、太陽電池の話もできない私ですから、私の得意分野の自衛隊生活経験談を熱く語り、興味を持ってもらうことでコミュニケーションを図っています。
 これから定年を迎えられる皆様、我々自衛官は人と協同する訓練を充分にやってきたつもりです。自信を持って民間の人の輪(和)の中に入って行って下さい。そして自分の半生を捧げた自衛隊生活の素晴らしさに誇りをもって民間の人を感化善導してあげて下さい。

<彰古館 往来>
陸自三宿駐屯地・衛生学校
〈シリーズ45〉
日露戦争の記録(1)
 今年は日露戦争終結から丁度100年目に当たります。彰古館保有の日露戦争関係の史料を調査中に面白いものを見つけました。陸軍東京予備病院戸山分院で撮影されたアルバムです。
 平時の陸軍衛成病院は、戦時には予備病院に編成替えをして、戦地からの後送患者の治療に当たります。東京予備病院戸山分院は、現在の東京都新宿区の国立国際医療センターの所在地で、昭和4年(1929)以降は陸軍軍医学校が所在した場所です。
 撮影者の岡谷米三郎一等軍医(軍医大尉)は、当時珍しくも口腔外科を専門とする軍医で、日露戦争時は歩兵第二連隊付、終戦時には東京予備病院付兼士官学校教官という立場でした。
 創意工夫が好きだったようで、自ら考案した歯科医療器材に岡谷式と名付け、現場で使用させ、改善を行い、上級部隊に上申して制式化させていたようです。彰古館には当時岡谷軍医が考案した「開口度付き開口計(口の開く角度を測るゲージ)」や「間接角度計」など、戦傷者のリハビリテーションや恩償診断に必要な器員を考案された記録が残っております。
 今回調査対象となったアルバムは、大きさがA4よりも少し大きいサイズで、厚さは8cmもあります。蛇腹状の台紙の裏表にびっしり張られた写真には詳細な説明文が書かれた薄紙が1枚1枚張られ、およそ200枚以上の写真が添付されていました。カメラが貴重品だった当時としては、これだけの枚数の写真を撮影し、これを現像すると言うのは大変なことだったと容易に想像されます。
 アルバムの内容ですが、東京予備病院戸山分院の各施設と傷病者の記録写真です。やはり、写真と言えば集合写真が殆どであったこの当時、スナップ写真を記録として残すと言うのは大変珍しい例です。しかも目を引く戦場写真ではなく、どちらかと言うと地味な後方医療業務の写真で、しかも岡谷軍医の専門分野である口腔外科の最も古い記録写真集なのです。
 写真を見ると、岡谷軍医が凝り性だったのか、微に入り細に渡る実に痒い所に手が届く詳細な記録です。
 施設関係は戸山分院正門、外来健康診断所(ペスト予防委員会出張所)、第1区全景、区内軽症室、重症室、包帯交換所、手術室、薬局、調剤室、衛生材料倉庫、耳鼻咽喉科、眼科、皮膚科、口腔科、あんま室、酒保、娯楽室、事務室、庶務室、炊事場、病理試験室、霊安室、憲兵派出所など約100枚が撮影されています。
 裏面のページにはやはり約100枚の口腔外科の臨床例がカルテの写しと共に添付され、治療方法と器材が詳細に撮影されています。
 このアルバムは単に陸軍の医療施設、治療設備や器員などが理解出来るだけでなく、100年前の我が国の医療レベルや風俗を知ることが出来る絶好の史料だといえます。
 岡谷軍医自身は日本の医療史の中では一介の軍医にしか過ぎませんが、このアルバムが彰古館に伝えられたことにより、100年後の今、その業績を再検証することが出来るのです。まさに100年後の快挙です。

陸中音が定期演奏会開催 お知らせ
 陸上自衛隊中央音楽隊が第63回定例演奏会を開催します。日時、申込方法などは次のとおりです。
 〈日時〉12月8日(木)開場18時15分、開演19時
 〈会場〉大田区民ホール・アプリコ(大田区蒲田5丁目37番3号)
 〈指揮〉菅原茂、水島敏
 〈曲目〉▽スペイン組曲/アルベニス▽クラリネット協奏曲/独奏・丹羽綾子/P・スパーク▽島唄〜沖縄の海から〜(エイサーとバンドの共演)、他
 〈入場料〉無料(往復はがきにて抽選)
 〈申込方法〉往復はがきに、住所、氏名、年齢、電話番号を記入して、〒178-8501東京都練馬区大泉学園町 陸上自衛隊中央音楽隊「防衛ホーム」係宛お送り下さい。▽締切り11月24日(木)▽招待数100名▽往復はがき1枚につき抽選で1名様入場、未就学児童の入場はお断り致します。
 ※なお、詳しくは陸自中央音楽隊演奏班電話048・460・1711(内線4591)へお問い合せ下さい。

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