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   2005年5月1日号
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インドネシア国緊隊活動を振り返って
陸幕広報室 2佐  山下 博二
 〈はじめに〉
 2004年12月26日に発生したインドネシア・スマトラ沖地震は、タイ、インドネシア、インド、スリランカ等の国に大きな被害をもたらし、世界中の各国が救援活動のため被災地に派遣されました。そのような中、陸上自衛隊では、第7師団、第12旅団、第1ヘリ団を中心に約230名のインドネシア国際緊急医療・航空援助隊が編組され、先遣部隊の約20名の応急医療チームが、1月14日には出国し、16日には最も被害が大きかったインドネシア・スマトラ島の最北端のアチェ州バンダアチェに到着して、1月19日には医療活動を開始しました。主力は1月21日に出国し、海上自衛隊の輸送艦「くにさき」の支援を受けて、1月24日にはバンダアチェ沖に到着し、輸送艦「くにさき」を活動の拠点として1月26日から本隊による活動を開始し、撤収する3月10日まで続けられました。
 地震発生から3ヶ月が経過し、再び地震に見舞われ、その救援活動が行われており、心配になるところですが、本稿では、救援活動の概要及び活動所感等について紹介したいと思います。
スマトラ島沖地震と津波による最大の被災地、アチェ州では建物が倒壊、流出し、海岸線付近は瓦礫の山
海自輸送艦「くにさき」から大型ヘリコプターを使って被災地に救援物資を空輸する陸自隊員
現地マスコミに対応する筆者(右)
 〈被災地の状況〉
 津波による被害は想像を絶するものでした。我々が活動したバンダアチェは、海岸線から3〜4?は津波に襲われ、多くの建物は倒壊、そして、家財道具一切が流され、海上にあるべき大型船舶(タンカー・漁船等)が、市街地の中心部まで流される等、津波の力の凄まじさを感じました。また、バンダアチェ〜ムラボーの約200?のスマトラ島西海岸では、海岸線から約2?の幅にわたって道路が寸断・家屋が倒壊・流出等の被害が発生し、多くの住民の方が救援物資を待つという事態が発生しました。
 不幸にも津波によりご家族等を失った方も多く、バンダアチェの人口約40万人の内、その半数が行方不明或いはお亡くなりなったとも聞き、この津波による被害は、建物等への被害のみではなく、多くの方々の心にその爪痕を残すものになると感じました。
 また、色々なものが津波で流され、衛生状態も悪く、高温多湿の気象条件から、マラリア等の伝染病が懸念される状況でもありました。
 このような被災地の状況を目の前にし、隊員の誰もが、被災者のための救援活動を行わなければならないという使命感を感じたものと思います。
 〈活動の概要(支援内容・成果)〉
 インドネシア国際緊急医療・航空援助隊は、約60名の医療援助隊と約90名の航空援助隊を基幹に編組されました。本隊に先立ち派遣された応急医療チームは、バンダアチェ空港内に医療施設を開設し診療活動を開始しました。
 応急医療チームの活動を引き継ぎ、医療救助隊は、バンダアチェ市内のラマラ地区に医療施設を開設し、被災者の診療を行うとともに、市内の各所でマラリア対策の防疫活動を行いました。その他、インドネシア保健省の要請により、孤立化したスマトラ島西海岸の集落等で行われたワクチン・キャンペーン(15歳以下の子供達を対象に、はしかワクチンの接種、ビタミンAの投与をUNICEFが主導的に行ったもの)に医官・看護士等の隊員を派遣し、キャンペーンを支援しました。航空援助隊は、CH-47×3機、UH-60J×2機による孤立化した集落等の被災地への緊急物資の輸送を行いました。
 活動は、緊急援助段階が終了した3月10日までの約50日間に及び、約6,000名の被災者を診療、約2,000名の子供達へのワクチンの接種、約13,300?(東京ドームの約10倍)の防疫活動及び物資約160t、人員約1,570名の救援物資等の航空輸送を行いました。
救援活動の合い間に被災者と親睦を深める
母親に付き添われた子供を診察する医官
異臭の漂う中、懸命に防疫活動を行った
 〈活動所感〉
 ○インドネシア国民の期待
 活動間、被災者の方々の笑顔、インドネシア語「テレマカシ」(ありがとうという意味)という言葉での挨拶・お礼の言葉を聞くたびに、我々の活動が被災者の方々のために役立っていると実感するとともに、充実感を覚えました。中には、日本語で「ありがとう」と話しかける被災者の方もおり、我々の活動が被災者の方々のために役立っていることを認識する一方で、日本(自衛隊)に対する期待を意味するものであるとも感じました。
 診療に来られた患者の方に、「なぜ、他国も医療施設を開設する中、自衛隊の診療施設に診療に来られたのか」と聞いたところ「日本は災害が多く、被災者の気持ちを理解してくれる」「日本人は親切」「医療技術が進歩しており、自衛隊の診療が一番」というようなことを聞き、被災者の方々の期待に応えなければならないということを強く感じました。全ての隊員は、私と同様の気持ちで救援活動に従事し、その結果、被災者の方々の期待に応えられたものと認識しています。
 ○海・空自衛隊との統合
 今回の派遣活動の特性の一つに海・空自衛隊との協同による救援活動であったことが挙げられます。陸上自衛隊は、実際に被災者の方に接し、円滑に医療・航空援助活動を行うことができましたが、その活動ができたことは、海・空自衛隊の支援があったからこそだと思います。
 航空自衛隊は、タイのウタパオを拠点として、C-130により救援物資をインドネシア・バンダアチェ空港に緊急物資の輸送を継続して行っていました。そのような中、応急医療チームの要員等の人員輸送、陸上自衛隊の活動に必要な物資(タイで調達されたもの)の輸送等により、我々の活動を支援して頂きました。
 また、バンダアチェ沖に停泊していた輸送艦「くにさき」を活動の拠点として、日々、CH-47等により、現地での活動に赴いていたこともあり、海上自衛隊には、活動の終始を通じて、全面的な支援を頂きました。特に、航空機の整備・給油等の支援基盤としての支援は、海外で初めてCH-47,UH-60Jの運用を成功させることができた最大の要因であると思います。その他、陸上自衛隊の隊員は、地上で救援活動することから、日々の昼食は携行食(コンバット・レーション)であるため、生野菜が不足しないために夕食では、必ず生野菜を出してくれる等の配慮もあり、大変有り難く感じました。また、現地での活動を終了し、我々が「くにさき」から退艦する際には、艦艇間の通信手段の気流(カラフルな小旗)により、GSDF5963(陸上自衛隊ご苦労様という意味)の気流を掲げて我々を見送って頂き、国際緊急医療・航空援助隊の全隊員が感動しました。
 本派遣を通じて、これまでの各自衛隊の歴史からお互い文化の差はあるものの、統合のためには、お互いを理解することであり、双方が歩み寄ることが重要であることを感じるとともに、海・空自衛隊への信頼感をより高めることができました。今回の派遣は、統合のための多くの教訓を得られたものと思います。
 〈最後に〉
 我々は、今回の活動を通じ、医療活動、航空援助活動、或いは統合等の運用の観点からは勿論のこと、あらゆる分野での多くの教訓を得ることが出来ましたが、その教訓を今後の国際貢献、個人の隊務に反映できればと思います。個人的には、本当に貴重な経験を与えて頂いたものと感謝しております。
 また、本派遣が成功裡に終えることができたのは、我々の活動を国内から支えて頂いた上司・同僚等の自衛官及びご家族の皆様のお陰と感謝しております。本当にありがとうございました。

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