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   2005年3月1日号
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ゴランPKO「行って来ます!」特集6面
第19次ゴラン高原派遣輸送隊
たゆまず継続まもなく10年
第19次ゴラン高原派遣輸送隊の43名は、成田空港で民航機に搭乗しゴラン高原へ向かった。現地到着後は18次隊から10年の伝統を引き継ぐ。左は隊長・佐藤和之3陸佐
 カンボジア、ホンジュラス、スマトラそしてイラク…。平和を育てながら、自衛隊も着実に成長してきたが、特にこれまで10年間、19次にわたって途切れることなく、誠実に、規律正しく、地道に、黙々と、中東の安定を下から支え続けたゴランPKO活動こそが、真に自衛隊らしい偉業ではないだろうか。2月18日に出国の「第19次ゴラン高原派遣輸送隊」(隊長・佐藤和之3陸佐、陸上要員35名、海上4名、航空4名、第1師団主力)が2月13日、練馬駐屯地体育館で編成完結報告と隊旗授与式を行った。これから半年間、砂漠を見下ろす標高1000メートルの高原地帯で輸送業務を行う。和の精神で平和を守るサムライの旅立ちにスポットを当てる。

 出発を目前に明るいニュースも飛び込んできた。2月8日にイスラエルとパレスチナが停戦合意。中東和平の成果にゴラン隊員のモチベーションも高まる。
 しかし一方で、2月16日にはシリアとイランが結束して米国に対抗する強硬姿勢を示すなど、情勢は日々刻々と変化する。
 1967年の第3次中東戦争でイスラエルが占領したゴラン高原返還問題をめぐり「全面返還」を要求するシリアに対し、「レバノンからのシリア軍撤退」を要求するイスラエルの、和平交渉は2000年1月以降中断したままだ。
 「なにゆえにゴランへ行くか──すべては日本のため、世界のためである」。編成監理官の第1師団長・矢澤昌志陸将は、練馬体育館内で編成完結報告に応えて、「ゴランの大地と風を体感すれば、大いなる意義を見出し、それぞれに人生の糧となる」「誇り高い思い出のために、隊長のもとで全員無事に任務完遂して帰国してほしい」と訓示した。
 1師団としては、第3次(平成9年2月から半年)第10次(12年7月から半年)についで3回目の派遣となる。

ゴランPKOはナンバー・ワン

 ゴランのPKO活動はナンバー・ワンである。去年で開始から30年、国連でもっとも古く長い歴史あるPKO活動だ。これまでに8カ国、5万人が参加。49名の尊い犠牲を出したが、武力衝突などの重大な事態はいっさい起きていない。
 その中で、無事故・無傷を誇るのが日本の自衛隊だ。10年という期間は、自衛隊の国際貢献のなかでも最長、しかも参加国のなかで、活動する地域の広さは自衛隊がナンバー・ワンだ。
 日本隊の活動は43名(と司令部要員2名)の少数だが、輸送、道路、宿営地の整備、重器材などの整備と改修、燃料など補給品の受領配分、補給倉庫保管物の管理、そして冬季にはヘルモン山の10メートルにおよぶ除雪を日本隊のみで実施する。その各種能力の高さは外国軍から「日本隊は200名くらいの規模だと思っていた」と言わしめたそうだ。
 東部方面総監・今村功陸将は「厳しい環境でも、これまでの実績に誇りと自信を持ち」、常に情勢に気を配って「最善の安全確保」を、さらに多忙であっても「家族との連絡をしっかりと」、以上の3点が訓示。「第19次ゴラン高原派遣輸送隊」の看板を佐藤隊長に授与した。

 青い帽子、青いマフラー、白い国連マーク。胸にはUNDOFの盾を模したバッジ。日本国旗と、日本隊を意味する「J‐CON」、今次「19th」の文字が刻まれている。佐藤隊長が自前で製作、全員に配った。

 ゴラン高原派遣輸送隊は長官直轄部隊となる。約100名の家族が見守る体育館で、柏村武昭政務官が激励の言葉をもって「隊旗」を授与した。ゴランに到着後は、各国軍人・文民たちとともに国連の管理下に入る。(写真=約100人の家族が見守る中、練馬駐屯地体育館で柏村武昭政務官が19次隊長・佐藤3佐に「隊旗」を手渡した)


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