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   2005年2月15日号
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<論陣>
政治の報道介入はあるのか?
=NHK特集問題を機に真相を=
 NHKの特集番組の放送にからんで『政治』が不当介入し、番組の一部をカットさせられたという問題で朝日新聞、NHK、それに2人の大物政治家が、それぞれ『対決』している。海老沢NHK会長の経営責任をとった辞任どころではなく、マスコミにとっては『対決』のほうが、大問題である。
 言論の自由、国民の知る権利が憲法、その他の法律で守られている日本では『権力』の介入は許されないことである。政治であろうと、行政、思想、宗教であっても、マスコミ報道について不当介入は絶対に許してはならないのは言うまでもない。
 もちろん、近代国家として民主主義が現在ほど国民に根付いたいまの日本では、昔のような権力による露骨な介入や不当圧迫は、ほとんど存在しないのが現実である。
 筆者が記者生活を始めた昭和20年代には、かつての古いタイプの政治家や古手の役人がいた。かれらは、戦時中の『権力行使』の癖やはかない夢?が僅かに残っており、時折り強圧的な態度を見せるものもいた。
 それも昭和30年代初頭には姿を消し、世は『マスコミの天下』の時代になった。特ダネ合戦がマスコミの舞台をにぎわせた。もっとも、そのころ電波メディアはNHK万能で民間放送はまだ経営自体が暗中模索の時代だった。当時のNHKには『国営放送的』感覚の記者も多かった。
 「NHKは予算、決算を国会の承認をもらわなければならないので弱いんだ。新聞はいいなぁ」と嘆くNHK記者もいた。事実「上から押さえられてー」と『書かざる記者』も存在した。だから、放送部の幹部が『お上』の名を借用してゴマするをしていたことがあったかも知れない。こんどの報道特集の場合も、不当介入に名前をあげられた中川昭一経済産業省も「放送前にNHK幹部と会っていない。会ったのは放送後だ」と明言しているところをみると、どうも『名前』を部内で使われた可能性があるようにも思われる。朝日新聞とNHK、それに安部晋三氏、中川昭一氏の言い分は、それぞれ大きく食い違っている。その真相は正さなければならないし、真相が明かされなければ国民のマスコミや政治家に対する不信がつのるのは避けられない。
 政治や権力がマスコミ報道に介入することは決して許されることではない。ただ、「自主規制」が存在するのは否定しない。それは、あくまでも自主的であって決して介入や圧力によるものであってはならない。
 新聞記者時代の例をひとつあげておく。それは防衛庁を担当していたときのことである。Y紙が有名な「三矢事件」をスッパ抜いた。国会で厳しい論戦が展開され、Y紙の記者は一躍、天下一の記者と位置付けられた。ところが、「三矢研究」は2種類あったのである。ひとつは、Y紙が抜いた朝鮮半島想定作戦だが、いまひとつは「北方領土奪還日米共同作戦」だったのである。「朝鮮半島作戦」の直後、「北方領土奪還作戦」の存在を知った。そのころはコピーなどが、いまのように発達していなかった。そこで「一時間で返す」と原本を借りて、防衛庁(六本木)隣の小学校の下駄箱の陰で、カメラマンと力を合わせて接写。原本を返却して帰社。当時の社会部長に現物(写し)を見せて説明した。「よし、書け」。第2に三矢事件の原稿は社会部長の手にー。約1時間後、記者クラブに帰っていた記者に本社から呼び出しがかかった。
 社会部長、編集次長、編集局長が待っていた。「確かに特ダネだ。しかし、これがいま、明るみになると日露両国間、日米で大問題が起きる。日本はいま大事な時期だこれは泣いてくれ、国のためだ。考えてくれ」。断れなかった。このとき、防衛庁長官、防衛庁高官、その他の政治家からの介入は一切、なかったことは間違いない。『自主規制』を体験したのは、この1回だけである。記者として特ダネを押さえたことは、変な思い出だが、『泣いた』ことを間違ったことをしたとは思っていない。「あの実力者が怒っている」とか「お偉いさんが頼んでいる」などの『使い易い名前』を借りてじぶんの地位の安定や上司へのご機嫌とりなどはやってはならないことである。

東北方、初のOH-1配備
格納庫完成を祝う
 第2対戦車ヘリコプター隊(隊長・烏海清2陸佐)は1月21日、OH-1整備格納庫の落成行事を行った。
 9時50分、第2対戦車ヘリコプター隊の隊員が参列して御祓いの儀式を実施し、鳥海ヘリ隊長が玉串を捧げ、格納庫の完成を祝った=写真。
 次いで落成式が行われ、来賓として東北方面航空隊長をはじめ駐屯地各部隊長、OBの列席のもと、鳥海ヘリ隊長が式辞で「東北方面隊としての初号機のOH-1が配備され、全隊員一丸となって、安全かつ精強で信頼されるヘリコプター隊を構築すべく教育訓練に精励し頑張っていこう」と述べた。
 この後、東北方面航空隊長からの祝辞、写真撮影、展示飛行、OH-1及びOA-1整備格納庫の案内・説明などが行われた。
 航空隊長やOBに囲まれての祝賀会食では、OBらの懐かしい顔ぶれに会場は和やかな雰囲気となり、万歳三唱で航空安全を誓った。

若人の集い
名寄駐屯地曹友会幹事長 1曹  大松 亘
 曹友会は1月23日午後6時から駐屯地の独身男性を対象とした若人の集い「YOU & me gather 2005」を市内のホテルで開催した。
 仕事の関係から、日ごろ女性との交流が少ない隊員に、出会いの場を提供しようと、自衛隊協力婦人会と後援し、昭和57年から行っている行事である。今回の開催で20回目にあたり、この集いがきっかけでゴールインし、すでに家庭をもっている隊員が数名いる。
 隊員有志と市内女性が実行委員を組織し、企画・司会進行までを行った。男女76人が参加し、最初はお互いに緊張気味であったが、自己紹介から始まり、ゲーム、席替えなど、時間が経つうちにうち解け合い、終盤には1組のカップルが誕生し、この企画も成功裡に終えた。
 曹友会は今後も、この様な活動を通し、1組でも多くの結びつきを期待し、この企画を継続したいと思っている。

第1ミサイル艇隊 アットホーム実施
 第1ミサイル艇隊(司令・服部一男3佐)は1月15日、家族の理解・支持、融和の増進を図るため、隊員家族に対する広報行事(アットホーム)を実施した。練日雪に見舞われていたが、久しぶりに朝から抜けるような青空が広がり、絶好のアットホーム日和となった。
 午前9時、屋内訓練場に集まったちびっ子家族の前に突如として現れた着ぐるみパンダに扮した隊員の余興に、すっかり家族も打ち解けた雰囲気の中、第1ミサイル艇隊司令のあいさつを始めとして、隊員による活動紹介(プレゼンテーション)、ソフトバレー、綱引き、輪投げを実施した。活動紹介(写真)では、隊員がこの日のためにOA機器を駆使して作成した広報ビデオを上映し、隊員の日頃の勤務を理解できた家族たちの拍手喝采で湧上がった。ソフトバレーでは、家族と混成のミサイル艇隊士官室チームが見事優勝、奥様方の活躍に場内は沸きに沸き、隊員対家族に分かれて実施された綱引きでは、花を持たせるつもりで臨んだ隊員達が、思わぬウーマンパワーの凄さにたじろぐ一幕もあった。
 そして、アトラクション最後のゲームを終えたあと、隊員家族一同は今年1年の無事を祈念し、家路についた。


東富士を撮り続けて…
富士本屋写真部
佐藤欣一氏(写真提供)
〈シリーズ15〉
土官候補生の内務班
昭和14年、工科学校生
軍旗に敬礼

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