防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース 防衛ホーム新聞社 防衛ホーム新聞社
   2004年12月15日号
1面 2面 3面 6面 7面 8面 9面 11面 12面

<寄せ書き>
新潟中越地震災害派遣に参加して
46普連1中隊 3陸曹 岩田 弘美
 私はこの度の新潟中越地震災害派遣に参加しました。10月24日の夜に呼集がかかり、整斉と準備を整え、深夜に海田市駐屯地を出発しました。新潟まで800qに及ぶ長距離移動も翌日の昼頃には無事に高田駐屯地に到着し、災害発生から3日目には被害の大きな川口町に入りました。
 我々の部隊は、川口小学校を拠点とし、主に毎食800〜1,000食分(米100s前後)の炊事支援活動を開始しました。炊事経験豊富な隊員から、野外炊事車の使い方や、米と水の分量などの指導を受けながら実施し、途中炊きあがりが固かったり、ベチャ飯だったりと失敗もありましたが、"温かくておいしいご飯を少しでも多くの人に食べてほしい"と思う気持ちで活動していました。最終的には私を含め皆、匂いで米が炊けているかどうか判断できるくらいに成長していました。
 被災地の状態は、家屋倒壊や道路陥没などでひどい状態になり、しかも毎日数回、震度4や5程度の本震と思えるような余震が続き、被災した人のみならず我々も不安を感じながら活動を実施していました。
 我々自衛隊に出来ることは微々たるものですが、しっかりとした指揮系統があり、組織的に活動ができる自衛隊の"存在感"をこの災害派遣を通じて改めて感じました。
 最後に、我々はすでに任務を終え帰隊しましたが、遠い広島の地から新潟県の早期復興を心より願っています。
7・13水害を体験して
新潟地連長岡出張所 1陸曹 佐藤 昌生
 担当地域で私も住んでいる中之島町で今年の7月に今まで経験したことのない災害が起こった。いわゆる7・13水害だ。
 水害の前日から激しい雨が降り続き、当日は朝からバケツをひっくり返したような雨が降っていた。刈谷田川の水位は上がり、刈谷田川ダムの放水も重なって、ついには堤防が耐えきれなくなり中之島町の私の家のすぐ近くで決壊した。町は一瞬にして水浸しになり、建物等に残された人たちを救助するために派遣された自衛官のヘリやボートが救出にあたっていた。
 私も当日の夜に現場を見に行ったが、川の水がすごい流れで町を襲っていた。
 水は翌日に引きはじめたが、高田の第2普通科連隊を主軸とする自衛隊員と全国から集まったボランティア、そして同僚・友人・親戚などの支援を受けながら残った泥を処理した。
 私自身も床上90pの被害に遭い、隙間という隙間にすべて泥が入り、1階に置いてあった家財道具はすべて使えなくなってしまった。私も今までは、支援する側であったが直接被害に遭って支援される側の立場に立つと身にしみてありがたみがわかる。これを教訓にして今まで以上に国民の方々の支援をしていきたいと思っている。
自然災害を体験して
仙台駐屯地 第2特科群130特大1中 2陸曹 小只 政司
 私は昨年5月、7月と続けて2回の大きな地震を経験し、自宅に多大な被害を受けました。それから約半年が過ぎて、今年の2月、何とか自宅を再建することが出来ました。この間、部隊を初め多くの方々からのご支援、ご協力には、心身とも大変お世話になり、本当に心強い限りでした。
 近い将来に"必ず起きる"といわれている地震のことは多くの人が心配していると思います。そこで、私の体験から得たことで、皆さんに何か役に立つことがあればと思い記述したいと思います。
 日頃防災に備えてはおりましたが、その準備の見積が相当甘かったと痛感しました。実際に必要なのは、各市町村で作成しているハザードマップ、怪我に対応できる近隣の病院、避難場所等の把握。家族親戚への連絡手段は、NTTパンフレット等に詳しく載っているほか、家族親戚の連絡網の確保及び処置。飲料水、食料、衣服、医薬品、電灯、ラジオ等の物品はいろんな方向で紹介されているとおりで、本当に必要です。しかし、せっかく用意してあっても、すぐに取り出せないところや、転々と置いたりしている家庭がほとんどではないでしょうか。私の家庭でも奥の方にあり、震災直後には活用することが出来ませんでした。
 被害を少なくしたり、被災直後の対処を万全にしたりすることは個人的に可能かもしれません。出来るだけ早く、気持ちと物の準備をおすすめします。

身分証明書に入れている写真
幸せを一杯感じる瞬間
第101特直支大2直支中 3陸曹 中山 利明
 私が特別勤務や演習を終えて自宅へ帰ってくると、まず3才になる息子が元気よく玄関へ出迎えてくれます。「パパお帰り!」の一言で疲れが癒されます。次に6ヶ月になる娘が体全体で喜んでくれます。
 そして、今まで逢えなかった分を取り戻すかのように喋りまくり「遊んで」と甘えてくる息子、娘は寝返りが出来てたり、物を食べられるようになったりと成長の早さを思い知らされます。独身時代には味わうことの出来なかった幸せを一杯感じることができて大満足する瞬間です。今はまだ私や妻にべったりの子供達ですが、これから少しずつ成長していき親離れしていくと思いますが、大人になってから私たちが親で良かったと思われるように、愛情一杯に育てていき家族の絆を深めていきたいと思います。この写真は、そんな思いにしてくれる1枚です。
 このコーナーの投稿写真と文を募集しております。(編集部)

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
野村證券(株)新潟支店  本間 昇
本間氏は昨年12月、航空救難団飛行群新潟救難隊を3空尉で定年退職。55歳
 私は、平成15年12月に航空自衛隊(新潟救難隊)を退官、野村證券に嘱託社員として入社しました。救難員として勤務していたこともあり、身体を使う仕事をと最初は思っていたのですが、野村證券に勤めていた先輩から「12月に定年になるから俺の後に来ないか」と声がかかりました。証券会社で自分が果たして勤まるのかという不安がありましたが、「大丈夫、大丈夫、解らないことがあれば周りの人に聞けば教えてくれるから心配することはないよ」と言われ、不安を感じながらもこの1年を過ごしてきました。
 私の仕事の内容は証券等の受け渡しが主です。お客様と対応するようなことはありません。そのほか、社内便の配布、セミナー等の会場準備など、諸々です。ときには社用車のドライバーをするときもあり、セールス以外は何でもといった感じです。緊張するのは社員の方々と会社を回り、証券を受け取りに行く際です。会社の社長、あるいは会長というような方にお会いし、その前で株券を数えたりするときです。枚数や記入内容に間違いがないか確認し、それが300枚、400枚と多いときは特に緊張します。間違いは絶対に許されないからです。
 勤務時問は午前8時40分から午後5時10分までですが、当番があります。3名で朝番、夜番を交代で実施し、特に夜番のときは証券マンの方は夜遅くまで仕事をしていますから、帰った後、社内の点検、施錠をしてから帰るので遅いときには午後11時を過ぎるときもあります。最近になってようやく仕事にも若干余裕がでてきました。(でも、ミスをしたときは会社のトイレの鏡に向かいガンバレ、ガンバレと自分自身を励ましているんです。)
 最後に、月並みではありますが、これから定年を迎える皆さんに私なりの感想を述べたいと思います。まず健康が第一です。現役のうちから健康と体力の維持管理に努めてほしいと思います(自衛隊にいたので体力はあると思われているんです)。再就職には不安もあると思いますが、「挑戦・誠実・努力」をモットーに、精いっぱい部隊での勤務に励んでください。その姿勢が将来の良き再就職につながるはずです。

自衛官のための座禅入門
井上暉堂
<シリーズ(1)>
 「一射絶命」とは、「一瞬一瞬がすべてそうであるように、一本一本の矢が最後のすべてを決する一射なのだ」と…。時間は取り戻すことができない。だから「人生に二番煎じはない。たとえどんなつまらないことであっても、その時に面していることに全身全霊を集中して全力を尽くす」どんなことにでも自己のすべてを尽くしてぶつかっていくのだ。どんなことも、この世でただひとつのこととして行うのだ。と、坐禅儀にあります。
 元来、人間と大宇宙は一体のものでありますが、人間に自己という意識が生じたときから、この世界は迷いの相対世界となりました。この意識のために主観と客観が分かれ、自己と世界が対立することになります。これが迷いの根本であり、ここに立脚したすべての思想は果てしない迷路に陥ることになります。
 そして人間は、直接的に世界に対することをしないで、言葉(概念)を通して世界に接するようになったため、元々は何の矛盾もない世界が、人間には苦しみや不安に満ちたものとして見えてしまいます。
 そこには生と死の対立があって、そのために私たちは死後の魂の有無に迷うことになります。また、言葉を通して観た世界には自己と世界、善と悪、苦と楽、迷い悟り、男と女、有無、上下、左右…と無限の対立した事象が成立するのです。
 しかし、だからといって本当はこの世界のどこにもそのような区別はありません。ちょうど地球上のどこにも国境線など無く、ただ地球上にだけそれが書かれているように、それらは私たち人間の心のなかに言葉(概念)としてだけ存在します。
 坐禅とは、この言葉の渦巻く心を静めて自己と世界の元来の一体性を取り戻して、本当の自己に出会うための行為なのです。次回から具体的に説明させていただきます。
〈筆者略歴〉1957年横浜生まれ。慶応義塾大学卒業。毎日新聞記者、経済誌編集者、ロッキー青木氏秘書を経て、エンデバー(株)代表。禅歴は建仁寺専門道場で雲水修行を経て、高歩院(山岡鉄舟道場)、白川道場、海禅寺にて参禅修行。法号は暉堂を拝命する。著書:パワービジネス(ロッキー青木補作)教育は国家5000年の大計、サラリーマン大反乱、賢い女は男の見方、起業家への挑戦、官僚支配の断末魔、新・堕落論、「悟性」の時代、考え方を変えれば豊かになれる21の知恵、等多数。浅草、海禅寺で禅講演。慶應大学向上会で禅指導。アメリカ企業DBMで禅研修を行う。
<シリーズ(2)>
 今年のイラクへの自衛隊派遣で隊長が「日本は武士道の国です。…」とおっしゃった件をみなさんも記憶されていることでしょう。
 その武士道のルーツこそが日本の誇る禅なのです。鍋島藩の「葉隠」にしても根源は禅思想です。私たちは日常、目先の現象を追いまわして、自己を見失いがちです。
 現象の奥底に、ふかく秘められたいつでも・どこでも・だれにでも通じる永遠の洞察する眼を開かなければ、到底、確信のある人生もましてみなさんのような自衛官でいつ、なんどき国のために身を投げ出して、場合によっては死ぬかもしれない状況もないわけではありません。そこでひとつ禅の思想を通してすすめていきます。
 こういう禅問答があります。「自性(じしょう)を識得(しきとく)すれば、方(まさ)に生死(しょうじ)を脱す。眼光落つる時そもさんか脱せん。」
 自性とは仏性(ぶっしょう)。自性を識得する、大自然と自己が一体であるという境涯を得るならば、「自性を識得すれば方に生死を脱す。」生老病死のその難関を乗越えることができます。この肉体は本来は不生不滅(ふしょうふめつ)です。
 しかし、差別(しゃべつ)の世界ではいずれは死滅していきます。この私たちの肉体は四つの大きな元素によって成り立っておりまして、その元素が息が止まった途端にバラバラになってしまいます。そして次に「眼光落つる時そもさんか脱せん。」さあ、眼光落ちる時はウンゴッツーと息の根が止まった時です。ああもうこの世とはお別れだと、息の根が止まった瞬間、みなさんだったらその時どうしますか?(次号につづく)

11面へ
(ヘルプ)
Copyright (C) 2001-2008 Boueihome Shinbun Inc