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   2004年8月1日号
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自衛隊に対する期待の大きさを実感
クウェート、サマーワ、インド洋の陸海空派遣部隊を視察
現地の人々と信頼関係築く
防衛庁長官官房広報課長(現秘書課長)  鎌田 昭良
 先般、6月18日から6月25日にかけて、西川徹矢運用局長(現人事教育局長)に随行して中近東で活動する陸海空自衛隊の部隊を視察する機会に恵まれました。その際に感じた個人的な印象と所見を二つほど申し述べたいと思います。多少なりとも現地の状況を多数の人に理解して頂き、日本と全く気候・風土・習慣の異なる地域で活躍している自衛隊員の方々の苦労を理解する上での一助になればと考えます。
 今回は、クウェート及びイラクのサマーワにおいて、イラク特措法に基づき派遣されている航空自衛隊の部隊と陸上自衛隊の部隊を、インド洋沿岸に所在する港において、テロ特措法に基づき派遣されている海上自衛隊の艦艇を視察しました。【写真=サマーワ宿営地で・西川局長(右)と鎌田課長】
 先ず第一の感想は我が国と全く異なる気候・風土の地ということです。既に6月の半ばということもあり、非常な猛暑で、日中の気温は50度を超えていました。6月19日の早朝、5時前に経由地のドバイに到着しましたが、早朝にもかかわらず、外気温は33〜34度でした。我が国の観測史上、最高の気温は山形市で、昭和58年の7月に観測された40・8度だそうですので、我が国ではこれまで気温が50度を超えたことはありません。50度の気温というのは、喩えて言えば、ドライヤーの熱風を肌に当てた印象です。湿度は低くかなり乾燥していますので、温度の割には耐えられる感じはありますし、汗もすぐ乾燥してしまいますが、逆に水分補給を怠ると脱水症状となってしまうとのことです。移動に利用した陸上自衛隊の軽装甲機動車の装甲も相当な高温になっており、車内で顔や手などが触れると火傷しそうな、状況でした。
 途中で砂嵐に会い、当初の出張計画の変更を余儀なくされました。強風により吹き付けられる砂塵で数メートル先を走る車が見えなくなるほどのものでしたが、現地ではこの程度のものは砂嵐(Sand Storm)ではなく、砂塵(Blow Sand)と呼ぶそうです。それでも、車の屋根の上を砂がさらさら音をたてながら移動する様子は生まれて初めての体験でした。飛んでくる砂は非常に粒子の小さいものですので、何らかの対策を採らない場合には、自衛隊の各種装備品に大きな影響を与える恐れもあると思います。
 こうした我が国とは大きく異なる厳しい気候や風土に加え、イスラム教の地域ということもあり、我が国と異なる慣習もあります。その一つがアルコール類と豚肉の禁止です。豚肉の禁止は日本人にとって大きな不便にはならないかもしれませんが、アルコール類の禁止というのは、厳しい環境下で、かつ娯楽の少ないこの地域で活動する隊員の息抜を考える上で大きな制約のような気がします。アラブ首長国連邦のドバイではホテル内のレストランなどでのアルコールの飲食が認められているようですが、クウェートやイラクではそれも認められていません。イラクの文化や習慣を尊重するとの観点もあり、サマーワの宿営地の中ではノンアルコールのビールを風呂上がりに隊員が飲んでいました。3本も飲めば、酔った気分になるとのことでしたが、私のように全くアルコールが飲めないことに支障を感じない人間はともかく酒好きの隊員にとっては大きな苦痛だと思います。
 以上の様な厳しい気候・風土、我が国と異なる習慣、気晴らしのしにくい環境の中で、陸海空のどの部隊の隊員も黙々とそれぞれの任務に就いていましたが、その姿は感動的ですらあります。特に、イラクのサマーワで人道復興支援活動に携わっている陸上自衛隊の隊員が部隊や隊員の安全確保に配意しながら、地域住民の高い期待にどうやって応えていくのか考えながら必死になって業務に邁進していく姿を肌身で感ずることができました。
イラク復興支援群の陸自車両の前で、真っ黒に日焼けした派遣隊員とともに
 第二の私の感想は陸上自衛隊が活動しているイラク南部地域の人々の日本や自衛隊に対する期待の大きさです。日の丸のついた陸上自衛隊の車両が通過すると気がついた現地の住民が暑い日中にもかかわらず、家から出てきて、車両や隊員に向かって手を振ってくれます。清田広報官に外国人全てに手を振っているのかと質問したところ、イラクの人々が手を振るのは自衛隊員に対してだけだそうです。これまで陸上自衛隊が行ってきた地元の人々との触れ合いや広報活動が功を奏しているのかもしれませんが、イラクの人々の日本の支援に対する期待の高さを感じました。今年の3月に、日、英、独、仏の報道機関などがイラクで実施した世論調査において、イラク復興において役割を果たすべき国として、米国にならんで日本がトップの国として位置づけられた結果がでたそうですが、そうした調査結果は真実だと肌身で実感しました。きっと前の大戦で敗北を味わったにも拘わらず、戦後、大きな経済復興を果たし、今や世界第二の経済大国になっている我が国に対する共感が根底にあるのではないかと考えます。
 今回の視察の中で、クウェートやイラクの米軍の施設を見学する機会がありました。米軍は古代ローマ軍と同様にロジスティクスで戦いをする軍隊です。食事も彼らの本国で食べるものと同様なものを供給し、生野菜などの生鮮食品も豊富ですし、アイスクリームやケーキも好きなだけ食べられます。異国の砂漠の中であるにもかかわらず、ピザハットやサブウェイと言った店もあります。プールを基地内に作って、女性軍人が水着姿で泳いでいました。これが伝統的な米軍のやり方であり、こうでなければ士気も保てないのだと思います。しかしながらAmerican Way of Lifeを前線に持ち込むこうした米軍人の姿を見て、厳格なイスラム教徒の中には反発を感じている者もいるのではないかと思います。他方、我が国の陸上自衛隊はようやく活動の基盤が整った段階でありますので、米軍に比べ、衣食住は総じて慎ましいものですが、反面イラクの現地の住民と同じ目線に立つ努力を続けているように感じました。陸上自衛隊が実施している人道復興支援業務を行うにあたっては、現地の人々の目線に立って、彼らのニーズを常日頃から把握するのが不可欠ですが、イラク復興支援群の中の業務支援隊の方々を中心とする日々の活動によって、現地の住民との信頼関係が確立しつつあるように感じました。業務支援隊の隊員は特段の用務がなくとも極力、毎日部外に顔を出しているそうです。「今や当地では、サミーと呼ばれています」と言ってニッコリと笑った佐藤業務支援隊長の日焼けした顔がとても印象的でした。
 イラクの人々の日本や自衛隊に対するこのような期待の大きさにどうやって応えていくのかということが大きな課題だと思いますが、自衛隊ができることにも限界がありますので、外務省などとも連携しながら政府全体としての対応を継続していくことが今後とも重要でしょう。【写真=クウェートのVlPルームで束の間の休息】
陸上自衛隊の復旧・整備支接により修復されたダラージのオローバ中学校
同校前に集まって親しげにポーズをとるイラクの子供達
 紙面の制約もありますので、私の出張の所見はこの程度に留めておきますが、イラクのサマーワの子供達の笑顔は本当に素晴らしいものです。陸上自衛隊が復旧活動をしている学校等の現場をいくつか視察してきましたが、自衛隊の車両が来ると、どこからともなく子供達が集まってきます。どの子供達も着ているものは我が国の子供達が着ているものに比べれば粗末ですが、どの子の目も一様にキラキラと輝いています。イラクの復興にはまだまだ難しい問題が山積していますが、こうした子供達が末来に希望を抱いていけるかぎり、我が国も含めた国際社会が復興に手をさしのべていけばいつの日かかならずイラクの復興は実現するとの思いを強くしました。

 先日、西川徹矢運用局長(現人事教育局長)、鎌田昭良広報課長(現秘書課長)をはじめとする一行が、クウェート、イラク・サマーワ、インド洋を視察しました。その時の現地の様子や派遣隊員の支援活動状況などを鎌田課長に手記にまとめていただきました。(編集部)

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