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   2004年1月1日号
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自衛隊ならでは 多彩な支援活動
大村航空基地で慶大「防衛ゼミ」
 第22航空群(群司令・植月政則将補)では、11月20日に「日本の安全保障」の課題に取り組んでいる慶応義塾大学の学生8名に対し、基地研修の支援を実施した。
 学生は、慶応義塾大学特別招聘教授の金田秀明氏(元海将)のゼミ(リージョナルアナトミー論)の中での「日本の防衛」をテーマとした研究の一環として大村航空基地に来隊。
 研修は、長崎空港から着隊し、群司令によるあいさつと防衛の現状についての講話をかわきりに、第124航空隊司令による基地概要説明のほか、航空機見学、基地施設見学、搭乗員訓練装置の体験搭乗と分刻みで実施されたが、その都度、要点を踏まえた質問が矢継ぎ早に飛び出すなど、極めて活発な研修となった。特に、当基地からもインド洋方面へ多くの隊員が派遣されて活動していることや、艦載ヘリコプター部隊である当基地の任務等に関する内容に質問が集中し、現役の大学生が抱いている安全保障への関心の深さが伺えた。
 学生の多くは航空機を身近で見学することが初めてであり、実際に自衛隊の航空機を目の当たりにした感激と、若い幹部搭乗員と昼食を採りながらの懇談によって、装備の充実に関心を持つとともに訓練の厳しさも感じたようだった。
 基地を離れる際、エプロンで互いに記念写真を撮り合い、青く晴れ渡った大村の空に離陸していく航空機に手を振りながら、次の研修地佐世保へと向かった。
陸自UH-1ヘリ人気映画に登場
 立川駐屯地(司令・平野隆之1陸佐)は12月3日、立川駐屯地エプロン地区で、子供向け人気映画「ウルトラマン ザ ネクスト」の撮影にUH-1H(多用途ヘリコプター)を使って協力した。
 陸上自衛隊のヘリコプターパイロットがセスナ機を誘導するという場面で、東部方面航空隊のパイロット2名が実際にUH-1型ヘリコプターに乗り込んで撮影が行われた。パイロットは「初めての経験なので緊張しました。プロの仕事は妥協が許されないのだなあ」と感想を述べていた。
 子供達に夢と希望を与える映画になることを祈りつつ、撮影協力を終えた。
隊員サンタの素敵な贈り物
 弘前駐屯地業務隊(隊長・柴田幸則2佐)では12月8日、弘前市中別所の四肢不自由児施設さわらび園を訪れ、マジックショーやプレゼントで園児を慰問した。
 慰問は、園児の1日も早い身体の回復と社会復帰を願い、隊発足以来毎年行っており、今回は細川本部班長以下11名が訪れた。
 ボールやハンカチを使ったマジックショーの後、サンタクロースとトナカイに扮した隊員がジングルベルの音楽に合わせて登場し、園児一人ひとりにお菓子とお年玉を配った。プレゼントを貰った園児達は大喜びで、隊員と来年また合う約束をした。
福岡国際マラソン音楽隊が花添え
 第4音楽隊(村上康広隊長以下40名)は、12月7日、日本陸上競技連盟からの依頼を受け、平和台陸上競技場(スタート・ゴール地点)で、「第57回福岡国際マラソン選手権大会」に対する音楽演奏協力を行った。
 今大会は、平成16年に開催される「アテナ・オリンピック」の日本代表選手選考会を兼ねており、国内外からの招待選手を含めて総勢102名の選手が出場。競技場及び沿道の多くの陸上ファンの声援を受け、白熱したレースを展開した。
 音楽隊は、選手がスタート10分前から競技場を出発するまでの間、壮行演奏で大会の始まりの雰囲気を高め、また、42.195?を走破し再び競技場に帰ってきた選手を華やかな演奏で迎えた。

旧日本兵遺留品、58年ぶり米国人から返還
空自が橋渡し
 米空軍ライトパターソン基地(米・オハイオ州)に勤務する職員、ジョン・バンコウィッツ氏から同基地駐在の空自連絡官小林久幸1佐に、旧日本兵の遺品とみられる「日章旗」を遺族に返還したいとの申し出があったことを受け、大阪地連で11月27日、空自幹部候補生学校・塚田義和副校長が代理人となり、所有者の甥にあたる黒崎二郎氏(大阪・枚方市在住)に同旗が返還された。
 バンコウィッツ氏は、父親の遺品からこの日章旗を発見。小林2佐が、記されていた名前をもとに厚生労働省に照会したところ、所有者は昭和20年に亡くなっている黒崎郁三旧陸軍軍人と判明した。バンコウィッツ氏の亡父は44、45年米海兵隊員としてサイパン、硫黄島で参戦。日章旗が渡った経緯は不明。空自が橋渡しとなり58年ぶりの返還となった。バンコウィッツ氏は「最大限の尊敬と賞賛をこめて、この国旗と私の家族及び私の国家に代わって受け取っていただきたい」とコメントしている。

献血でボランティア
<福知山>
 福知山駐屯地業務隊(隊長・上田一成2佐)では、11月27日、京都府福知山市にある日本赤十字社血液管理センターで隊員20名が献血を行った。このセンターは日本に3力所ある大規模センターの1つで、約30万リットルの血液保管能力を有し、NAT(核酸増幅検査)を実施するなど世界でもトップレベルの施設。関西を中心に22の府県から集められた血液はマイナス36℃で冷凍保管し、各医療機関に提供されている。
 この働きかけは業務隊長の提案で、今回は年次休暇を利用しての参加となった。
 そもそも福知山駐屯地へは年3回献血車が訪れ、のべ250〜300人が献血している。しかし日本では慢性的に血液が不足しており、特に夏季と冬季が足りないというのが実状。献血車とは別に隊員が休暇を利用して、ボランティアで定期的に血液管理センターへ出向き、年間を通じて安定的(1度に20人前後)に献血しようという趣旨である。
 当日はボランティア精神に燃えた業務隊員と、地連の隊員合わせて20名が献血センターに集合し、医師による問診、及び血液検査のあと献血した。

模範空曹、事務官
空幕長が10名を表彰
 部隊等で模範的な空曹及び事務官として勤務する隊員を表彰する平成15年度航空幕僚長招待行事が11月26日、明治記念館で行われた。受賞者は夫人と共に出席し式典では、津曲義光空幕長より10名の隊員一人ひとりに褒賞状と記念の楯が手渡された。受賞者は次の通り
 〈模範空曹〉▽伊丸岡博曹長(第2航空団)▽貴田廣明曹長(第4高射群)▽野平良一曹長(西空警戒管制団)▽永嶺好貴曹長(第83航空隊)▽中原淑仁曹長(航空救難団)▽志手正文曹長(第1航空団)▽遠藤正博曹長(補給本部)▽伊藤善賢曹長(情報本部)
 〈模範事務官等>▽宮英功技官(西空警戒管制団)▽此村孝技官(航空救難団)

小笠原詣島からの患者輸送500回超える
第31航空群に都知事より感謝状
 第31航空群(群司令・松岡貞義海将補)に対し、東京都知事要請による小笠原諸島からの災害派遣(患者輸送)回数が500回を越えたことにより、東京都知事から感謝状が贈られた。
 小笠原諸島からの患者輸送は、同群所属第71航空隊(司令・國森裕隆2佐)のUS-1Aが主に実施しているが、夜間等で着水できない場合は、硫黄島航空基地隊のUH-60Jが小笠原諸島と硫黄島間の患者輸送を実施し、US-1Aに引き継ぐ形で協力して実施している。
 11月20日に第31航空群司令部大会議室で行われた感謝状の贈呈式では、石原慎太郎東京都知事の代理として、都総務局総合防災部長の金子正一郎氏から群司令に感謝状と記念の盾が贈られた。金子部長は「皆様の献身的なご尽力によりまして尊い命が救われ、安心して島での生活が出来ております。改めて心からお礼申し上げます」と謝辞を述べ、松岡群司令は「今回の表彰を励みにして小笠原島民の皆様又国民の皆様の付託に応えられるよう、ますます訓練に励み即応体制の維持に努めたいと思います」と答えた。
 第71航空隊は、世界唯一の救難飛行艇を装備する部隊として1976年7月1日に発足した。US-1A7機態勢となった1982年3月からは、常時1機を厚木航空基地に待機させ岩国航空基地同様、24時間体制で緊急出動に備えている。
 第71航空隊の初出動は、1976年7月12日、海上保安庁からの要請による洋上救難(ギリシャ船の乗組員)であるが、東京都からの要請による急患搬送の初出動は同年8月29日、父島在住の女性(38歳、切迫早産の疑い)の緊急搬送だった。以後、生まれる前の赤ん坊から、95歳の高齢者まで、島民はもとより観光等で小笠原諸島に滞在し、事故や急病のため至急専門医療機関への移送が必要となり、東京都知事からの災害派遣要請となった患者輸送回数が、2003年7月8日で500回に達した。
 なお、第71航空隊は平成15年11月19日までに、開隊以来、洋上救難等を含め697回681名の救難実績がある。

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