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   2003年3月1日号
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回想の70年代音楽(6)
――「罪を僧んで……」
 だいき 今回のテーマは重過ぎるぅ。いくら芸能人とはいえ、古傷を取り上げられるのは酷いと思うな。
 ひろか それでもどうしてもパパが書きたいのは、1975年に起こった或る落ち目の男性歌手が起こした殺人事件のことが脳裏を離れないからなんだって。
 だいき 別にパパがこの歌手Kのファンだったわけではなくて、高校の同じクラスにKという名前の奴がいて一時冷やかしの対象になってたという程度なんですが。
 ひろか Kの事件のことを記憶している人は適当に思い返して頂けばいいし、知らない人は今更知る必要もないのですが、当時は浮き沈みの激しい芸能界を象徴する事件として社会に大きな衝撃を与えたものです。
 だいき Kは模範囚として仮出所した後、自慢のノドを活かして更生の道を歩んでいたようですが、ニュースにならないのがいいニュース、だといいですね…
 ひろか 殺人以外に歌手の強盗、恐喝犯もいましたが個々に云々するのは止めましょう。十分な社会的制裁を受けているでしょうし。
 凶悪犯はそう度々あるものではありませんが、それに比べて構造的に起こっているのが大麻、麻薬、覚せい剤の使用ですね。こちらはいっぱい居過ぎて枚挙のいとまがない…その中で敢えて実名を出すの?
 だいき 芸能界でジャニーズ事務所と言えば飛ぶ鳥を落とす勢いですが、60年代に人気を博した元祖ジャニーズ(今でも居るのはあおい輝彦くらいか?)に次いで息の永い活躍をしたのがフォーリーブスでした。そのフォーリーブスが去年1年限りで復活したのですが、評判が良かったので今年も4人で活動しています。昔のファン(推定平均年齢40代後半の女性が中心?)にとっては待望久しかったのではないでしょうか。まあ、4人とも年相応に老けて、申には額が広くなったのもいますが、ね。
 ひろか このフォーリーブスではたしか2人が過去に御用になっているのですが、「ブルドッグ」という晩期のヒット曲の一節に傷は夜更けには薄れるってのがあったように、今は本業の方で償ってもらいたいですね。
 だいき ちょっとこじつけ?
 あ、それから蛇足ですが、歌詞の引用はあまり正確にするとJASRACに咎められちゃうかもしれないんで適当にやっています。
 <フォーリーブス・コンサート情報>4月15日午後2時、6時30分の2回公演 中野サンプラザホール【お問合せ先】TEL03・5362・3450

寄せ書き
趣味について
4特連1大本管中 士長  小田口紘樹
 私の趣味は、ずばり音楽である。母と姉がピアノをやっていて小さい頃から様々な音楽を聴き、育ってきたからそのせいだと思う。小・中学生時代は音楽は好きではあったが、私のまわりに趣味が音楽という男子がいなかったので吹奏楽部に入るという友もいなく、大勢の女子の中で1人部活動をする自信はなかったので野球少年を演じていた。
 高校生になり我慢の限界をむかえ、ついに吹奏楽部に入る決心をした。初めのうちは私を含め男子は3人だったのが、噂を聞きつけた友が次々と入部し、いつのまにか男子部員は10名となっていた。ここからが私の趣味「音楽」の始まりである。
 音楽を趣味とするにも様々な種類がある。演奏を聴く、歌う、作る等々。私は専ら演奏をする、聴くの2つである。高校時代は部活の演奏だけでは物足りなく、地元の市民吹奏楽団にも参加し活動の場を広げた。私はトランペットを吹いていたのだが、楽器という物は毎日練習しないと体が忘れてしまうので、それこそ毎日酸欠になるまで吹き続けた。もう一方の聴くほうでは、皆と同じようにCDを買って聴いている。クラシック、吹奏楽、邦楽、洋楽、ジャズ、ラテン、アニメ、映画音楽等々、現在のCD保有数は軽く250枚を越える。外出すれば必ずCDを買ってくる始末。もう誰にも止められない。
 とまぁ、ごく簡単に述べてきたわけであるが、音楽のいい所というのは、音楽を通じての出会い、そして、感動できる事ではないだろうか。駐屯地音楽部の一員としての音楽、趣味としての音楽、どちらも続けていきたい。趣味「音楽」が変わる日は永遠に来ないであろう。
学校で芸術鑑賞会
小学5年  猿渡紗也香
 私は、学校で行われた自衛隊の音楽部の鑑賞会でとても感動しました。それは、私たちがよく知っている「宮崎はやおさん」のジブリメドレーを聞かせてくれたからです。その中で、一番印象に残った曲は、もののけ姫で物語の情景がうかんできました。ほかにもいろいろな曲を聞かせて下さって、とてもうれしかったです。
 音楽部の方が、私たちの学校のせんぱいということで18年ぶりに校歌を歌ってくださいました。ピシッとしたえんそうと歌でとてもかっこいいなあと思いました。また、大きなのっぽの古時計の歌も歌って下さいました。私たちが良く知っている曲だったので、聞いていてとても楽しかったです。
 そして、楽器の紹介もあって分かったことは、小さい楽器は高い音が出て、大きい楽器は低い音がでるということで、とても勉強になり、自衛隊の音楽部のえんそうはとてもかっこよかったです。また聞きたいです。

「文化展」を開催
第2特科群曹友会会長
准尉 小野寺正彦
 第2特科群曹友会主催による群文化展が1月28日から31日までの4日間、群会議室で開催されました。
 2特群の隊員とその家族が趣味としていることや日頃学習している絵画、木彫、書道、陶芸、服飾などの作品から、釣り自慢の魚拓や自作の釣竿、丹精こめて育てた盆栽等バラエティーにとんだ作品百数十点が展示されました。特に奥様によるキルト、押し花、手編みのセーター、お子様の書道といった家族の作品が多数出展され、会場の雰囲気を盛り上げました。
 また、参考作品として江戸時代の稚児鎧が特別展示され来場者の注目を集めました(=写真)。
 1月30日には駐屯地業務隊長や方面兼駐屯地曹友会長も見学に来られるなど、多数の見学者に鑑賞していただき盛況のうちに4日間の開催を終了しました。

「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
(株)イムラ封筒  長谷川 博彦
平成6年、福知山駐業隊を2陸佐で退官。61歳
 私は退官前、最後の補職に駐屯地援護室長として2年半勤務させていただきました。当時はまだ定年退館者も年に7〜8名、任期制隊員については相当数あったと記憶しています。各企業からはリクルーターが次々と援護室を訪問し、現在から見れば恵まれた時期でもありました。
 (株)イムラ封筒での仕事の内容は働きながら短大に通学して3年間で保育士、幼稚園免許を取得したあと、各地方に帰り就職するという勤労学生の募集です。親に負担をかけず自分の力で、また家庭の状況等で進学が困難な若者が進んで入社しています。
 特に最近の着者の風潮で働きながら学ぶということは人気も少なく、しかも各学校から応募がある訳でなく、広い地域の高校を数多く訪問し、やる気のある、しっかりした人に応募してもらうのが主な仕事です。
 援護室の仕事と共通した点も多く、思ったよりスムーズに仕事に入っていけました。ただ、一番苦労したことは学校の先生との話題作りで、どうしても話が堅くなり、うちとけた人間関係を作るのに時間がかかりました。
 この仕事も営業であり、幅広い常識と話題を持合せて、相手の話に対応出来ることが必要であると痛感しました。人間関係の良否は、お互の人間的な魅力の大小によって決まると言っても過言ではありません。人間的な魅力とは、その人を取り巻く関係者と好影響を与える人柄のことです。相手の人柄によって愛を感じ、楽しさを味わい、強い刺激を付けて発奮したり、まさに自衛隊の集団生活は日々人間関係作りに最適の環境であると思います。
 自衛隊本来の任務に最大限努力するのは当然ですが、出来るだけ部外の人と交流の出来る趣味やスポーツ等を在隊中から続けて、退官後1人ぼっちにならないようにしてもらいたいと思います。
 自衛隊で得た技術を100%生かせる仕事はなかなかむづかしいとは思いますが、要は健康であり、会社のために忠実に職務に取り組む姿勢と責任感がすべて解決してくれると思います。

部外者の声
舞地隊を見学
女性防衛モニター(大阪地連) 田中 香織
 今回で通算2回目の自衛隊モニターを通して思うことは「自衛隊って格好いいな」ということだ。どうしてだろう?改めて理由を考えてみると、一つは敬礼に始まる自衛隊ならではの引き締まった動きと何でも質問に明確に答えてくれるプロ意識の高さから来ているのかなと思う。
 今日はその思いを特に強くした1日だった。海上自衛隊の制服は白と黒を基調としたもので、その制服を身にまとった自衛官の方々が上に並んで敬礼されるのを見たときは素直に感動を覚えた。そしてこの寒い日にジャケットも羽織らず、制服だけで仕事をされる姿に驚いた。私はコート、帽子、手袋と完全防備でも寒くて背中を丸めているのに…。
 今回のモニターで嬉しかったのはバスの中で広報班長の十河さんが記章や階級章の説明やご自分の経歴をお話してくださったこと。制服にある記章や階級章は普段見ることがないだけにどういう意味があるのか、ずっと気になっていた(これが光っていることが自衛隊の制服が他のものより格好よく見える理由でもある)。それに、私たち一般の者にとってやはり特殊な仕事であるから、どういう理由で自衛官になられたのか、どういう経歴を持っておられるのかなどには深い関心がある。また、それは自衛隊をより身近に感じる良い機会にもなると思う。
 次回からの要望としては資料館を見る時間が短すぎるのでもう少し時間に余裕が持てたらと思う。今津にも滋賀県出身者で戦死された方の記念館があり、今回も東郷平八郎元帥はじめ海軍の歴史や人物の紹介をしている記念館を訪れたが、説明を聞きながら資料を読むのは難しい。せっかく来たというのもあるが、モニターを始めてから自衛隊だけでなくそれにまつわる様々なことや歴史にも深い関心をもつようになった。資料館はその知的好奇心を満たしてくれる重要な教材なので、じっくり見させてもらえたら嬉しい。次回もバスの中の時間もフル活用で、自衛隊や自衛官の様々なことをお話ししていただけることを期待している。
知覧特攻平和会館を訪れて
大鷹会  川喜田 真仔
 久居駐屯地開設50周年に併せた大鷹会行事の1つとして、12月3日、私は知覧特攻平和会館を見学しました。映画「ホタル」の影響か平日でも大勢の人が見学。最初に特攻平和観音堂にお参り。暗くて狭く半地下の通風の悪そうな兵舎で、出撃前こんな所で待機していたのかと胸がふさがりました。
 平和会館に入ると1,036人の遺書、写真、遺品等が私達を迎えます。20歳前後の彼らの遺書を読むと、親孝行せず先立つお詫び、今まで育ててくれたことへの感謝、国のために立派に戦って死ぬことを嘆かないでほしい、また兄弟に対する愛情等を冷静に大変達筆な字で書いてありました。今の高校、大学生にはとても書けないのでは? 昔の教育は現在よりしっかりした若者を育てたように思います。私の息子を彼らに重ね合わせてみると、遺書を読む字もぼやけてしまいました。しかし、冷静な遺書を読み進むうちに、これは彼らの本音だろうか?と。死を目前にした彼らの本当の気持ちは?、目にふれない遺書には何が書かれていたのでしょうか。それにしても、写真で見る彼らの明るい顔は、何を物語っているのでしょう。人類は過去の歴史からなかなか学べません。地球上から紛争、戦争がいつかは無くなることを切に祈り、合掌。
 なお、今回の見学では、連隊長、広報室長、広報の皆様方のお陰で大変有意義な研修となりましたことを、厚くお礼申し上げます。

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