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   2003年1月1日号
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全弾命中、初の快挙!! 空自高射教導隊
ペトリ実弾射撃 練度と信頼性を確認
 空自高尉教導隊(司令・高橋健二1佐)は9月13日から11月24日までの間、毎年米国ニューメキシコ州のホワイトサンズ射場及びマクレガー射場で実施される高射部隊年次射撃訓練(ASP)に参加した。
 この訓練は、高射教導隊が実施するペトリオットの性能限界の確認や新たな運用法を開発する「研究射撃」と全国6個高射群による部隊の練度を確認する「実弾射撃」とに区分して実施されるもので、ペトリオットの年次射撃は、今年で13回目。
 高射教導隊はこの訓練にペトリオット器材と人員約50名を参加させ、3ヵ月もの長期にわたり家族と離れ、環境の違う異国の地で、研究射撃の実施と実弾射撃のための教導支援を実施している。
 今年は、初めて夜間における器材等の展開要領の教導を実施したほか、ASMを模擬した小型高速目標に対する射撃や複数の機動目標に対する射撃の教導を実施、見事に全弾命中という輝かしい成果を挙げ、隊員の練度とペトリオットの信頼性を確認することができた。
 特に、小型高速目標に対する射撃の成功は、米国でも初めてであり、高い評価を受けた。全弾命中は史上初の快挙であり、隊員のみならず、官民後方関係者の努力の成果によるものである。

自衛隊史跡めぐりシリーズ
明野航空記念館 明野駐屯地
 陸上自衛隊明野駐屯地は、日本人の「心のふるさと」ともいうべき伊勢神宮の北西約10?に位置し、東に伊勢湾、西に養老・鈴鹿・布引等の伊勢の山々が連なり、南には伊勢志摩国立公園を望む風光明媚な地にあります。また、当駐屯地の近傍には伊勢神宮を始め、斎宮歴史博物館、二見の夫婦岩、戦国時代村、鳥羽水族館、ミキモト真珠島、志摩スペイン村等の観光施設が沢山あり年間を通して大勢の観光客で賑わっております。
 当駐屯地は輝かしい伝統と歴史があり、古くは大正13年に旧陸軍飛行学校が創設されてから終戦まで、陸軍航空隊の総本山として戦史に輝く陸軍戦闘機の名パイロットを輩出したことは有名です。残念ながら終戦により明野陸軍飛行学校と明野飛行場の名前は一時消えましたが、昭和29年に浜松にあった保安隊航空学校が陸上自衛隊航空学校に改編され、翌30年8月に、新たに陸上自衛隊明野駐屯地と明野飛行場が誕生しました。それ以来、当駐屯地は航空学校が主体となり、陸上航空が使用するヘリコプターを全機種装備し、将来を担う陸上航空科隊員、パイロット等の養成にあたるとともに、新装備の調査研究及び新型ヘリコプターの実用試験等を担当し、名実ともに現代における陸上航空のメッカとしての地位を確立しております。現在同駐屯地には、航空学校を始め第5対戦車ヘリコプター隊、第10飛行隊、飛行実験隊等の飛行部隊等が所在し、隊員等約1000名が勤務しております。
 なお、当駐屯地内には、大正11年に建設された由緒ある旧陸軍将校集会所が顕在し、「明野航空記念館」と称しております。この建物は明野将校団の陶冶と団結の場として建設されたもので、独特の南欧風瓦ぶき建築様式はフランス人の設計によるものと伝えられており、当時としては随分高級な建物であったようです。往年の華やかさは別としましても、時移り、人替わり、年代の経過とともにいよいよ重厚味を加えたその偉容は文字どおり後世に遺すにふさわしいものと言えます。また、同記念館内には、顕彰室と陸上航空展示室があり、顕彰室には宮本三郎画伯の手による「空の軍神」と唱われた加藤隼戦闘隊長の等身大の肖像画を始め、日本で最初の飛行に成功した徳川好敏少将が、同校の校長時代に搭乗していた91式戦闘機の操縦桿と模型等を展示しております。また、陸上航空展示室では、陸上航空50年の歩みの写真パネル及び陸上自衛隊がこれまでに使用した航空機を1/35に縮小した模型等を展示しております。
 <問い合わせ先>陸上自衛隊明野駐屯地広報班 TEL 0596・37・0111(内221〜222)

防大50周年祝い『スカイダイビング』
空幕広報班長 2空佐 橋口 谷則
 2002年、防大が50周年を迎えるその記念すべき年に、私は初めて卒業の地、小原台を上空から見渡し、そしてそのグランドに舞い降りる!という考えてもみなかった快挙、素晴らしい実体験をすることができました。私は学生時代、パラシュート部に在籍していましたが、あの当時、伝説?で語り継がれていた"学生による最初で最後のデモジャンプ(防大22期)"以来、防大でのパラシュート降下はやらない、やれない、やれっこない!と信じきっていました。が、しかし、今回その22期の張本人である大先輩(現飛行開発実験団飛行実験群司令・高木雅弘1佐)の四半世紀ぶりのリベンジジャンプの夢が叶うと同時に、私のようにあることをきっかけに13年ぶりにジャンプを再開した者が、降って湧いたような幸運の中で思い出の地に空から舞い降りる!という、望んでも叶えられない嘘のようなホントの話を自らのものとすることができたのは、すべて世の不思議と言いますか、怖いくらいの幸せと、ただただ感謝している今日この頃です。
 およそ20年前に若き日々を過ごした小原台を空から眺めるだけではなく、まさか青春時代そのままにジャンプする!できる!とは予想だにしませんでした。まさしくそこにいた4年間、恐怖に耐えながら臨んだジャンプの1回1回を痛いくらいに思い出しました。1年生だった夏の暑い暑い日の初降下…恐怖と戸惑いの中で無我夢中と言うよりヤケクソで飛び出した大空、長い長い時間が経過したようでその実たったの2〜3秒程度…しかし一瞬"時"が止まったような、そして言葉で表現出来ないような"静寂"を体全体で痛烈に感じたことを今でも鮮明に思い出します。
 その初ジャンプから今に至るまで、何回ジャンプしてみても恐怖があります。下から見ていると実に爽快で気持ちよさそうに思えますが、上空から見ると地面という現実が迫ってきて「もしかしたら死ぬかも知れない」という恐怖に駆られ、それはそれは怖いものです。心臓はバフバフ、喉はカラカラ、本当に怖くて怖くて逃げ出したくなります。でも「今の、この1回を逃げたら、常に逃げてしまう。逃げてはダメだ!」という自制心でジャンプを続けて来ました。普段、私たちは"自らの死"というものを身近なものとして意識することはまず無いかと思います。しかし、しくじったら確実に死ぬんだ!ということをスカイダイビングは教えてくれます。そういった死の恐怖に打ち勝つこと、克己ということを通じて、"死生観"と"時の大切さ"を育ててくれるのがスカイダイビングというスポーツであると思います。
 空に飛び出しますと、本当に1秒が長く感じられます。地上にいる時の1秒1秒は何気なく気づかないうちにどんどん過ぎ去っていきますが、空での1秒1秒には大変な重みがあります。降下姿勢によって差が生じますが、だいたい時速200?から290?弱の速度で降下しますから、1秒のミスが命取りとなってしまいます。だからこそ、約1分間のフリーホールの後にパラシュートを開き、空の散歩を楽しみ、そして無事に着地した瞬間の充実感は筆舌に尽くしがたいものがあります。危険なスポーツと言われますが、逆にこれほど安全なスカイスポーツはありません。ただ、常々言われていることであり自分自身痛感していることは、"恐怖心があるからこそ"大丈夫であるということです。もし恐怖心が無くなったならば止めるべきだと言われます。怖いからこそ、傘のパックから装着、空中姿勢、開傘動作に細心の注意を払い、大胆に動くことができるのです。しかし、その怖さを克服し続けることによって自分があると言えます。私も日頃は地に足を着けて、足を磨り減らしながら過ごしていますが、だからこそ自分自身にとって空を感じることに大きな意義があると思っています。
 有事に自分が恐怖に打ち勝っていけるかどうか?……見つめ直すための場、それが私にとってのスカイダイビングであると思います。
 陸海空自の皆さん、一度空中散歩を楽しんでみてはいかがでしょうか?"時"の持つ意味を自らの体で感じ、生きているという実感を空の風に感じることが出来ます。やりたい人はいつでもウェルカムですよ。特に空自の皆さんは、空にかかわる者として、空に憧れ、空に夢を見、空を"飛ぶ"ことを求めるのもロマンではないでしょうか?せっかく空にかかわる職にある皆さんです、何らかの形で空のスポーツを実体験してみてはどうでしょうか?時速200?の風を大空で感じてみましよう!!!
最後に、防大50周年に乾杯…ブルースカイ!!!

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