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   2003年1月1日号
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イージス艦「きりしま」横須賀基地を出港
インド洋でテロ特措法に基づく対米支援
「力を発揮してほしい」と勝山自艦隊司令官が「きりしま」乗員を激励
 海上自衛隊・第1護衛隊群所属のイージス護衛艦「きりしま」(艦長・吉村司郎1佐)は12月16日の午前9時前、テロ対策特措法に基づきインド洋で米英軍に対して協力支援活動中の護衛艦「ひえい」と交替するため横須賀を出港。勝山拓自衛艦隊司令官をはじめとした幹部や、家族、隊員、OBら700人を越える見送りを受け、艦長以下約250名の隊員を乗せた「きりしま」はインド洋へと向かった。
 最新鋭のイージス護衛艦である「きりしま」は高い情報収集能力を持ち他の艦艇の安全を確保するだけでなく、居住性にも優れているため隊員の負担を軽減。「きりしま」はインド洋到着後、第1護衛隊「はるさめ」、補給艦「ときわ」とともに艦艇への洋上給油を中心とした協力支援活動や情報収集、ならびに捜索救難活動等に従事する
出港前に家族と過ごす隊員
 出港当日、朝早くから「きりしま」が停泊する岸壁には、乗員の家族や同僚が見送りに駆けつけ、出港まで思い思いの時間を過ごし、「行ってくるよ」と我が子を抱き上げる隊員や、同僚と肩を叩き合いお互いの無事を祈る姿などがあちこちで見られた。「今回の派遣も仕事ですから」と厳しい表情を崩さない乗員の妻も「体に気をつけてがんばって」と夫に伝え、連れて来た幼い子供たちには制服姿で働く父親の姿を見せにきたという。「海外には何回か行っているが新聞で息子の派遣を知り、今回初めて見送りに来た」という男性は「特別に声は掛けなかった。頑張ってきてほしい」と落ち着いた様子。また、友人を見送りに来た女性のグループは、「元気に今まで通りやってくれればいいと思う」と明るく話した。
 出港に先立ち、「きりしま」乗員に対して訓示をした勝山自衛艦隊司令官は「乗員は淡々と短期間のうちに出港準備を完了した。この姿こそが常日頃から我々が肝に銘じている精強・即応を具現化したことに他ならない」と語り、「乗員の努力の一つひとつが、卑劣で許しがたい国際テロリズムに対し我が国が国際社会とともに毅然とした態度で立ち向かう決意を示すものであることに思いを致し、力を発揮してほしい」「日本を遠く離れ、厳しい気象条件下でのオペレーションとなるが健康にはくれぐれも留意し任務の完遂を」と述べた。
 この訓示に吉村艦長は「日頃の訓練の成果を発揮し、与えられた任務を完遂し全員元気でまた帰ってきます」と力強く応えた。
 午前9時、いよいよ出港。徐々に岸壁を離れていく「きりしま」に岸壁からは「がんばれよー」と大きな声援が何度も送られる。「帽振れ」の号令が掛かると乗員、見送りの隊員が航海の無事を祈りお互いに制帽を頭上に掲げゆっくりそれを振った。また、同じ横須賀に停泊する米海軍のイージス艦は、艦上に整列し答舷礼で「きりしま」の出港を見送った。目頭にハンカチを当て船影を追い続ける家族や、涙をこらえる隊員を背に、「きりしま」はインド洋へと向かった。
 「きりしま」は2003年1月初旬にインド洋に到着し、約4ヶ月間の任務に就く。(小川郷太郎)

海自創設50周年祝う
モニュメント除幕や記念植樹
 海上自衛隊では創設50周年記念事業の一環として記念モニュメントを制作し12月16日、海自第2術科学校でその除幕式が行われた。除幕式には石川亨海幕長、勝山拓自衛艦隊司令官、齋藤隆横須賀総監、道家一成護衛艦隊司令官をはじめとした幹部や製作者も出席。合図で幕が取られると鮮やかに光るモニュメントが姿を現した。「濤(なみ)と平和」とタイトルがつけられたモニュメントは、球体を中心にそれを囲むようにして分厚い曲線を左右に配置。中央の球体は、海上自衛官が一致団結し我が国のみならず広く世界の平和に向けて精進する姿を。球体の周りの構造物は、濤をイメージしており、いかなる外敵・外圧に屈することなく平和を守る強固な防護を表現している。このデザインを考案したのは201整備補給隊の舛田秀規1曹。公募されたデザインの中から選考の結果、最優秀作品に選ばれ、これを基本デザインとし、彫刻の森美術館の協力のもと彫刻家・関正司氏によって制作された。
 続いて記念植樹も行われ、石川海幕長と吉田水交会会長によって、樹齢40年、高さ4メートルの黒松が2術校内に植樹された。(小川郷太郎)

防研創立50周年記念『特別展示』
貴重な戦史史料も公開
 防衛研究所創立50周年を記念した特別展示が、12月2日から6日の間、防衛庁市ケ谷記念館で、同10日にはグランドヒル市ケ谷でそれぞれ行われた。
 市ケ谷記念館では、機密文書、敵の逆利用を防止するため自ら焼却しようとした史料、戦場の志気の重要性を示す史料、人間の本音がみられる史料など「軍事機密 小笠原兵団硫黄島戦闘計画」「極秘 硫黄島ニ於ケル戦闘教訓立ニ作戦経過ノ概要」「東條英樹が航空部隊の指揮に関し天皇の允裁(承認)を仰いだ資料」「明治三十八年日本海海戦電報」「山本五十六の書簡」「大東亜戦争戦訓(航空)第一編ハワイ海戦の部」計6点を展示。見学者は、市ケ谷台ツアーの中でこれらの貴重な戦史史料を見学し、より一層の理解を深めていた。
 また、グランドヒル市ケ谷では"人物で見る戦史""100周年を迎える日露戦争""大東亜戦争の諸相―12月8日―"等のテーマごとに「森鴎外の結婚届」、「八甲田山遭難記録」「御前会議議事録(開戦)」等興味深い史料の数々を展示し、訪れた多くの見学者が熱心に見入っていた

横須賀音楽隊が定期演奏会を開催
 海上自衛隊横須賀音楽隊は第37回定期演奏会を開催します。申込み要領等は次のとおりです。
 <日時>平成15年2月13日(木)18:30〜20:30
 <場所>よこすか芸術劇場 大劇場
 <申込要領>◎住所・氏名・年齢・性別・電話番号を記入した「往復はがき」でのお申し込みとなります。〒238-0046横須賀市西逸見町1丁目無番地 海上自衛隊横須賀地方総監部 広報防衛ホーム係宛◎往復はがき1枚で2名様分の入場整理券をお送りします。なお、応募多数の場合は抽選となります。◎満員の際は入場をお断りする場合もあります。◎1月27日(月)必着◎お問い合せ:0468-22-3500(内線2208)広報係まで
 <プログラム>【第1部】指揮=熊崎陸男1海尉▽アウェイデー(A・ゴーブ)▽コロニアル・ソング(P・グレンジャー)▽交響詩「モンタニャールの詩」(J・ヴァンデルロースト)【第2部】指揮=松下修三3海佐▽バレエ音楽「四季」より"秋"(A・グラズノフ)▽バレエ音楽「ガイーヌ」より(A・ハチャトゥリアン)

<論陣>
謹賀新年・祈平穏・平和な年を
今年こそ有事法制の完結
 新年明けましておめでとうございます。
 防衛ホーム新聞社、所谷尚武社長はもちろん、社員一同、防衛庁、自衛隊関係者の皆さまのご健康とご発展を心からお祈りいたしております。防衛ホーム新聞も創刊から30年になりました。ことしは、さらに紙面を充実させ、読者の皆さまにお届けいたします。どうか一層のご愛読をお願いいたします。
 ことしこそ、いい年でありますように。これは、いま、皆さまがご期待されることと思います。日本のすべてが良いことだらけになるはずはありません。昨年以前に"日本"に立ちはだかった難問もひとつひとつ解決していく以外に方法はありません。
 デフレ解消による景気回復は、国民の100パーセントが願っていることです。お偉い人は「日本に金が無い訳ではない。ばく大な預貯金をたくわえているのが日本の特徴だ。その一部を消費に回わしてくれれば、国内景気はもちろん、世界経済は必ず上向くはずだ」といわれますが、昭和の大恐慌以来の大不況に直面している国民にしてみれば、連日リストラ、倒産の報道を見聞している限り、「明日はわが身かも知れない」との思いからそうそう気楽に財布のひもをゆるめることはありません。やはり"政治"が梶取りする以外に道は見つからないことです。
 北朝鮮の拉致、核再開発問題も日朝両国が対決したままで年を越してしまいました。ことしこそ、日本主導で"勝利"したいものです。近くて遠い問題ですが、これが解決しなければ、いつになっても東北アジアの平和が実現するはずはありません。特別に仲良くなる必要はないと思いますが、なんとか猫をかむの譬えもあります。突然の事態が発生することだけは避けたいものです。
 自衛隊関係にも、いくつもの課題があります。
 その最大のものは、やはり「有事法制」です。ことしこそ、総論と各論すべてを完全な"法律"として実現したいものです。でないと「自衛隊は国と国民の平和と安全を守る」といっても、行動するための法律的裏付けがないと"考えと行動"が一致するのは困難です。他省庁との連携、協力の強化、促進を心から期待します。
 省への移行も実現したいものです。石破防衛庁長官は「防衛庁の省への昇格ではない。省への移行だ」といわれています。その通りだと思います。
 平和で明るい2003年を実現するためには世界的貢献も重要なことです。昨年十二月十六日には海上自衛隊のイージス艦がインド洋に派遣されました。つらく、苦しい勤務だと思います。ご苦労さまですが、これも国際社会の一員としての日本の任務です。指揮官は、隊員の皆さまが、少しでも勤務しやすいよう配慮されるはずです。
 さて、話題を変えて、いまから50年前の日本では一体、なにが起きていたことでしょうか。まず、お米の値段は1kg68円だったようです。いまが1kg400円ぐらいだからだいぶ安かった。1月から2月に全国的にインフルエンザが猛威をふるい、多数の死者がでました。
 NHK、民放のテレビ放映がはじまったのは、昭和28年(1953年)でした。お金持ちだけが、当時、10万円もの大金を払ってテレビを買い込みました。この頃のテレビ受像機にはブラウン管の前に観音開きのドアが付けられていたのを思い出します。
 2月には、景気が上向きになって"株"の値段が急上昇し、立ち合い売買が不可能になるほどでした。お酒の値段では異変が起きています。物価が上がるばっかりの中で、清酒(一級)が745円、ビールは107円に値下げになり左党を大よろこびさせました。
 ところが、この好景気に水を注す出来事がありました。ソ連の最大指導者スターリンが3月5日死亡し、それがきっかけになって世界の"株式"が大暴落しました。おまけに3月14日には、国会で野党にヤジられた吉田茂首相が激怒し、衆議院を解散させました。通称"バカ野郎解散"といわれています。八頭身という言葉が大流行しました。ミスユニバースコンテストで伊藤絹子が第3位に入賞したからです。
 こう書いていると、一応の波乱があったようですが、いまの日本に比べるといいほうです。どうか、ことしは、せめて50年前ぐらい平穏な年でありますように。

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