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   2002年12月1日号
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USOサービス・ソルート開催
下士官7名を表彰
 「USOサービス・ソルート2002」が11月1日、東京都内のニュー山王ホテルで開催された(=写真)。この1年間に顕著な功績を残した下士官を表彰するもので、自衛隊から▽麻生孝雄陸曹長▽川口智史1海曹▽北林樹1空曹、米軍から▽テオドゥラ・アモレス海軍航空技師▽シャリーン・ジョセフ陸軍曹長▽ジョナサン・ルアン海兵隊伍長▽キーナン・シーズ空軍上級曹長が受賞した。式典には、自衛隊、米軍の幹部はじめ関係者多数が列席する中、トーマス・ワスコー在日米軍司令官から受賞者に表彰状等が贈られた。

防大で50周年式典
小泉首相「国民の信頼に応える自衛官に」
観閲行進後、小泉首相は石破長官(左)と西原校長(右)が見守る中、
清田学生隊学生長に歩み寄り握手をした
 今年、創立50周年を迎えた防衛大学校(西原正校長)では11月17日、創立記念行事が行われ、記念式典には小泉純一郎首相、石破茂防衛庁長官をはじめ、伊藤康成事務次宮、竹河内捷次統幕議長や防衛庁・自衛隊の高級幹部が出席。そのほか、多数の来賓に加え観閲式や「棒倒し」などを観ようと1万人を越える人がこの日、防大を訪れた。
 午前10時、約1000人の学生が観閲部隊として整列する防大陸上競技場に小泉首相が到着。小泉首相に対する栄誉礼後、陸海空の航空機による祝賀飛行が行われ、陸自第1ヘリコプター団のCH47ヘリコプター2機、海自21航空群のSH-60ヘリとP3Cが各3機、空自第2輸送航空隊のC-1輸送機3機が次々と会場上空を飛行した。続いて小泉首相が巡閲を開始。引き締まった表情の中にも若々しさを見せる学生の前をジープで巡閲する小泉首相は満足げに何度も頷いていた。
 今年、創立50周年を迎えた防衛大学校(西原正校長)では11月17日、創立記念行事が行われ、記念式典には小泉純一郎首相、石破茂防衛庁長官をはじめ、伊藤康成事務次宮、竹河内捷次統幕議長や防衛庁・自衛隊の高級幹部が出席。そのほか、多数の来賓に加え観閲式や「棒倒し」などを観ようと1万人を越える人がこの日、防大を訪れた。
 午前10時、約1000人の学生が観閲部隊として整列する防大陸上競技場に小泉首相が到着。小泉首相に対する栄誉礼後、陸海空の航空機による祝賀飛行が行われ、陸自第1ヘリコプター団のCH47ヘリコプター2機、海自21航空群のSH-60ヘリとP3Cが各3機、空自第2輸送航空隊のC-1輸送機3機が次々と会場上空を飛行した。続いて小泉首相が巡閲を開始。引き締まった表情の中にも若々しさを見せる学生の前をジープで巡閲する小泉首相は満足げに何度も頷いていた。

空挺隊員がパラシュート降下
 巡閲が終わると、西原校長が50周年に際しての式辞を行い、「真の武人にして真の紳士淑女たるべし」を目標に歩んだ防大の歴史を振り返りながら、卒業生が幹部自衛官として立派に職務についていることを述べ、「よき伝統に21世紀にふさわしい気風を吹き込んで、新たな50年に向かって邁進したい」とその決意を力強く語った。
 続いて、小泉首相が訓示に立ち、外国人留学生の受け入れや、女子学生を含む卒業生が自衛隊の各分野で活躍していることなど「こうした努力の積み重ねは、自衛隊に対する国民的評価に寄与するものと信じる」と語った。そして吉田総理が第1期生に説いた「一国を守るということのみではなくして、進んで世界、人類の自由、繁栄、幸福を守る」という理念を「学生が自らのものとして受け継ぎ、国民の信頼を受けるに足る立派な幹部自衛官に成長することを期待する」と述べた。
 また、石破長官は訓示の中で、充実した講義内容や図書館をはじめとした施設と、規律のある生活と校友会活動を通じて身に付いた「積極自主」の気風が一体となり現在に至ったことについて述べ、また「立派な幹部自衛官、同時に良識ある社会人となるという使命を強く認識してもらいたい」と強調した。
 その後、陸自空挺隊員5名が落下傘降下を披露。2000メートルの上空から次々と陸上競技場に降り立つ隊員は、会場からの盛大な拍手で迎えられた。
 そして、清田裕幸学生隊学生長を先頭に観閲行進が始まった。足並みと腕の振りがそろった学生のたくましい行進姿に観客は終始拍手を送り続けていた。行進終了後、清田学生が観閲官への報告を行なうと、小泉首相は観閲台から清田学生に握手を求め、石破長官もこれに続き観閲行進の見事な出来ばえを称えていた。
 最後は儀じょう隊の「ファンシードリル」がミスの無い美しいドリル演技で花を添え、記念式典は終了した。(小川郷太郎)


感動の棒倒し
 防大開校祭の伝統の呼び物といえば、若いエネルギーが炸裂する、「棒倒し」だ。
 会場となる陸上競技場には、競技開始数時間前から観客席の場所取りが始まり、グランド周辺は学生や家族、卒業生達でぎっしりと埋め尽くされた。
 午後2時、「オラオラ」「ワッショイワッショイ」の勇ましい掛け声を寒空に響かせ、グランド両サイドから初戦を戦う第3、第4大隊が拳を上げながら入場。裸足にヘッドキャップ姿の総勢300名の学生が、対戦チームを前に整列すると、場内は、にわかに気迫に満ちあふれた。続いて各大隊の代表が、大勢の観客を前に、闘志みなぎる口上を熱く述べ、チーム全員で、気合いの掛け声を掛けあって、いよいよ競技を開始。
 がっちりと守られた相手棒に、「ウワォー」と叫びながら攻撃班が突進。両チーム、勢いまかせのように見えて、この数ヵ月に練った作戦で確実に攻めようとする。タックルをして、基盤を揺るがす者、防御班の山によじ登り棒の先端を狙う者、おとり作戦など、攻めの手法は様々だ。熱戦の末、両チーム引き分け。再戦し、第4大戦が決勝に勝ち進んだ。
 この後の、第1、第2大隊の予選試合では第1大隊が勝利し、少林寺拳法部、学生隊応援団の演舞を挟んで決勝戦が行われた。結果は強敵第1のすさまじい攻撃を固い守りで堪え抜き、見事第4大隊が2連覇。
 試合終了後、西原校長から年季の入った優勝旗を受け取ると、総長を胴上げ、肩を組み合い、破れたシャツも誇らしく、構内を練り歩き勝利の喜びにひたった。
 また、女子も体育館で紅太鼓を披露し、華麗ながらも力強いバチさばきで多くの観客を魅了した。(塩田愛子)

世界的な研究センターへ・防研50周年
 防衛研究所(柳澤協二所長)では11月15日、石破茂防衛庁長官、神谷不二・国際安全保障学会長はじめ防衛庁・自衛隊の高級幹部、関係者ら多数が出席して創立50周年記念式典を防研講堂で開催した。
石破防衛庁長官はじめ高級幹部、職員を前に柳澤所長が式辞
 午後2時、開会の辞に続いて、全員で国家を斉唱したあと、柳澤所長が式辞に立ち、防衛研究所の歴史・沿革や業務組織などについて説明しながら「世界に通用する研究・交流のセンターとなる」「末来に通じる生きた戦史研究を展開する」「国際的視野をもった有能な幹部の育成を目指し、更に努力を続ける」ことを強調した。
 次いで、石破長官は副長官の時に一度防研を視察したことについて触れながら「防研での研究の成果を、防衛政策に着実に反映させていくことが大事」と訓示した。
 また、神谷会長は祝辞の中で、論語を引用しながらパイオニアたる「野人の志を忘れずに」と要望、式典を終了した。

より効果的な技術開発へ向けて
技本50周年迎える
 技術研究本部(青山謹也本部長)は昭和27年8月1日に保安庁技術研究所として発足以来、今年で50周年を迎え11月15日、防衛庁A棟講堂で記念式典を行なった。式典には石破茂防衛庁長官、伊藤康成事務次官をはじめとした幹部と職員約400名が出席した。
 整列する職員らを前に式辞を行なった青山本部長はその中で、技本の発足から現在までの歴史に触れながら「技術力の維持・向上は一朝一夕にできるものではなく、不断の努力を重ねていくことが重要」と語り、「観測ヘリコプター(OH-1)、支援戦闘機(F-2)の開発、装備化等、我々の技術力は防衛庁の内外から高い評価を得るまでに成長したものと認識し、これは理解ある支援と職員一人ひとりの努力の結果」と感謝の意を述べた。
 また、石破長官は訓示を述べ、技本のこれまでの研究開発等の成果を評価。加えてこれからの技本のあり方について等職員らに呼びかけた。(写真)
 続いて、技術表彰および職務遂行表彰の表彰式が行われ第3級・4級・5級賞詞の受章者28名が青山本部長から表彰状を手渡された。そして技本50周年記念事業として募集されたロゴマークのデザイン優秀者も表彰され、「赤い弓形シンボルに研究開発の情熱、たくわえられたエネルギー、そして弛まぬ前進をイメージした」という技本企画部管理課の高村倫太郎氏デザインのものがロゴマークに決定した。
 この日の夕方には場所をグランドヒル市ヶ谷に移し石破長官や関係者多数が参加して創立50周年記念祝賀会が開催された。

論陣
テロ即応部隊2万人がスタンバイ
激変するNATOに注目
 NATO(北大西洋条約機構)が、二〇〇四年までに二万人の"テロ即応部隊"を創設するという計画を決定したのは、実に早かった。プラハで開催されたNATO首脳会議の二日目には"創設"を決定し世界の注目を集めた。
 このテロ即応部隊が、これほどの猛スピードで決まった背景には、ニューヨーク、モスクワ、バリ島などでの大規模なテロ事件が続発していることがある。もう自国だけでテロに対処したり、防止したりする時代ではないことをはっきり物語っている、対テロ集団安全保障が、最良の道だとの考えが世界共通の観念だというのである。
 NATOは、一九九一年までソ連を中核とする軍事同盟であるワルシャワ条約機構に対抗するのを目的に、西側諸国が団結して創設してきた。ヨーロッパの西側諸国にとっては実に頼り甲斐のある存在であった。ところが一九九一年、ソ連は崩壊し、それと同時にワルシャワ条約機構も雲散夢消してしまった。言葉を変えると、ソ連の崩壊で米国を中核とするNATOの"敵"がなくなってしまったのである。ソ連はロシアという国家になり、米国と対決する国ではなく、米国と手を結んで、世界平和を実現しようという性格の国家に変わってしまったのである。
 ソ連崩壊の瞬間からNATOはその存在意義を失ってしまった。だが、米国、英国、ドイツなどの各国は、一朝有事に備えてNATOの存続の必要性を唱え、存続に力を注いできた。そして考えついたのが"拡大NATO"の実現であった。
 十九か国で構成されているNATOに旧ソ連に属していた国や以前からNATO参加を希望していた国々を積極的に組み入れ、より力のある同盟を作り出そうというのである。
 まず、一九九九年にポーランド、チェコ、ハンガリーの三国をNATOに加盟させ拡大を図った。そして、今回の首脳会議で二〇〇四年までにエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国とルーマニア、ブルガリア、スロバキア、スロベニアの七か国を加盟させることが決まった。各国の批准手続きなどの関係で正式加盟は二〇〇四年の夏になる予定である。
 NATOがバルト三国の加盟をあっさり認めたのには、過去、バルト三国が歩いてきた苦しい道程があったことがあげられる。それは、バルト三国が旧ソ連に半分だされ、半分脅されてソ連領にはめ込まれた歴史があるからである。一九四〇年までバルト三国はドイツ、ロシアなどの脅威の下にさらされ、交互に占領状態の苦しみにあった。
 そして一九四〇年、当時のソ連の最高指導者スターリンは「いまのままではバルト三国はナチスドイツに制圧されてしまう。ソ連領に入れば、ソ連が責任をもって三国を守ってやる」など言葉巧みにバルト三国をソ連傘下の国に併合してしまった。それから三国の本当の苦難が待ち受けていた。自由の国を強引に共産主義国家に変化させるための圧政と弾圧が実行されたのである。自由主義者と疑われた数万の国民はすべてシベリア送り、処刑されたものも十万人はくだらなかった。そして一九四一年夏には、こんどはドイツが三国に侵攻した。徹底した弾圧が行われた。第二次大戦末期になってドイツが撤退すると、三国は再びソ連の圧政下に置かれた。バルト三国が夢に見た完全独立を果たしたのはソ連が崩壊した一九九一年八月であった。
 バルト三国は独立後、NATO加盟を希望したが、なかなか実現しなかった。ところが"正面の敵ソ連"がなくなったNATOが、拡大路線によって世界の平和に寄与することになり、バルト三国の希望はやっと実現したのである。と同時に「テロと正面から戦う」ことを決めテロ即応(対策)部隊を創設することが決まった。理由は簡単。世界各地で大規模なテロ事件が続発し、もはや一国だけで対処することができないことが証明されたのである。テロ即応部隊は「NATO域内だけではなく、七日から三十日以内に世界中どこへでも最大二万人の部隊を派遣する」という。NATOは正に巨大な軍事同盟になると同時に、明確に"新しい敵"(テロ)対策という目標を作り出したのである。

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